成果報告
2017年度
スポーツ批評のメディア論的研究―1980年代における雑誌『スポーツグラフィック・ナンバー』に着目して―
- 立命館大学産業社会学部 授業担当講師
- 佐藤 彰宣
1.研究の動機と目的
本研究は、1980年に創刊された雑誌『スポーツグラフィック・ナンバー(以下ナンバー)』をもとに、「スポーツを語り、読む営み」としてのスポーツ批評が日本社会でいかに確立されたのかを検討するものである。
出版不況といわれる現在でも10万部以上の発行部数を数え、現代日本のスポーツ批評に大きな影響を与えている同誌だが、どのような経緯で登場し、1980年代当時の日本社会のなかでどのように読まれたのだろうか。文藝春秋社が手掛けたスポーツ雑誌の社会的な意味については、これまで十分に検討されてこなかった。さらにいえば、従来のメディア研究やスポーツ社会学などでは、新聞やテレビなどのマス・メディアでのスポーツ表象に関心が集まる一方で、人々が日常的に行ってきた「スポーツを語り、読む営み」については等閑視されてきたといえよう。
そこで本研究では、雑誌という媒体に着目したメディア論の視座から、スポーツ雑誌としての『ナンバー』の登場と受容の動向についての検証を行った。雑誌という媒体に着目することによって、これまで見落とされてきた「スポーツを語り、読む営み」としてのスポーツ批評に込められた社会的な意味を析出することも可能になろう。
2.研究の成果と得られた知見
これまでの研究では、まずスポーツ雑誌『ナンバー』の基礎調査を行った。具体的には、1980年代における『ナンバー』を入手・閲覧し、特集記事や編集後記、読者欄を中心に、編集者や書き手、読者がどのような理念や思惑のもとで、スポーツが語られ読まれていたのかを明らかにしようとしてきた。同時に、出版史・放送史に関する補足調査を並行して行った。メディアのなかでの『ナンバー』の位置づけを把握するために、『出版年鑑』『出版ニュース』などの調査で出版史を補足的に調査すると同時に、『放送文化』『放送ジャーナル』などの放送資料についても可能な限り渉猟した。これらの調査・分析を通して、次のような知見が得られた。
文藝春秋社によるスポーツ雑誌『ナンバー』は、「雑高書低」として年間200誌以上もの雑誌が創刊された1980年代の出版界で、50万部もの発行部数を誇るなど人々の関心を引いた。『ナンバー』の特徴は、沢木耕太郎や山際淳司ら当時ノンフィクションライターとして注目を集めていた論壇の書き手を動員することで、「人間ドラマ」としての普遍的なスポーツ批評のあり方を掲げた点にある。そこには、従来のスポーツ雑誌やスポーツ新聞などの他のメディアにみられた、選手や新聞記者による「結果」や「競技技術」中心の専門特化したスポーツ解説を相対化する狙いがあった。『ナンバー』は「ノンフィクション」としてのスポーツ批評を通して、教育・啓蒙的な色彩の濃い「体育」としての価値観を前提とする日本のスポーツ観の転換を目指したのであった。特筆すべきは、こうした啓蒙や教育を問い直そうとする態度の背景には、『ナンバー』を立ち上げた初期の編集者が学生時代に体験した教養主義体験とそこでの葛藤が存在していた点にある。普遍的な知の獲得を目指す読書文化と同じようにスポーツも人間の普遍的な文化として捉えながらも、特権的な「専門家」としてではなく、「素人」の視点だからこそ描くことのできるスポーツ批評を目指した。さらに文藝春秋社のスポーツ雑誌のあり方は、それに携わった編集者が『ナンバー』のみならず、その後『文藝春秋』などを手掛けるなかで、知識人による「啓蒙」ではなく、人間に普遍的な「生活」を発見することこそがこれからの総合雑誌の役割であると説くなど、『ナンバー』の視点がそのまま『文藝春秋』へと逆輸入されていった。以上を通して、これまで見落とされてきたスポーツ文化と「論壇」との関わりについて検討し、「スポーツ・ノンフィクション」というジャンルが確立されていくプロセスとメカニズムを明らかにした。
3.今後の課題と見通し
『ナンバー』を研究対象とする本研究は1980年代のスポーツと論壇との関わりから、現在、人々がインターネット上でのブログやSNSなどを通して日常的に行っているスポーツ批評の源流を紐解こうとするものである。よって今後は、編集者らの送り手側の理念やライフコースのみならず、読者の受容動向についても焦点を当てながら、社会のなかでの「スポーツを語り、読む営み」の実践とその変遷について明らかにしていく。これらを通して、日本のスポーツ文化とメディアの関係を、「語るスポーツ」「読むスポーツ」という観点から捉え直したいと考えている。
2019年5月 ※現職:東亜大学人間科学部 講師