成果報告
2017年度
日清戦争と日英関係、1894-95年
- 東京大学先端科学技術研究センター 協力研究員
- 鈴木 悠
研究の動機・意義・目的
近代日本の国際関係史は、同時期の日本とイギリスの関係は概ね友好的であった、という前提の下で語られることが多い。日本は近代を通じて、東アジア諸国やアメリカ、ロシアといった国々との関係を築く上では難しい選択を迫られることが多くても、近代を通じてイギリスとは総じて友好的な関係を築き上げることができていた。イギリスとの関係が概ね友好的な中で外交を展開することができた、という考え方が、近代日本国際関係史の中の通説として確立しているのである。この通説は、学界だけでなく一般の理解にも強く影響しており、2014年から2015年にかけてNHKで放送された、日本人の酒屋とイギリス人の妻が様々な困難を共に乗り越えていく様子を描いた連続テレビ小説『マッサン』は、このことを示す好例と言えるであろう。
近代日英関係史の先行研究も、両国間の友好的な部分を強調する傾向がある。近代の日英関係は、幕末からお雇い外国人を通じて日本の近代化を促すべく尽力したイギリスと、イギリスから近代社会のエッセンスを真摯に学ばんとした日本という「良き師弟関係」として始まり、軍事外交の面でも数多くの共通利益を有していた両国は1902年に日英同盟を締結した。日英の蜜月は両国が同盟関係にあった大正期まで続きながらも、第一次世界大戦後の国際環境に影響されて日英同盟が1923年に失効すると両国間関係は悪化の一途をたどり、1941年に開戦するに至ったと言うナラティブが一般的である。だが、戦間期の日英関係は、近代日英関係史の中では「不幸な例外」の時期に過ぎなかったとされる傾向が強く、戦後期の日英関係研究も両国がどのようにしてそれ以前の状態に関係を修復しようとしたかという観点から語られるものが多い。
この通説を再考察し、近代日英関係史だけでなく日本の国際関係史全般に新しい視座を提供することを目的に、筆者は日清戦争前の日英関係の研究を進めてきた。近代全般において日英関係が概ね友好的であったという通説は、その最初期である明治期前半の関係が友好的であったという認識に立脚している部分が少なからずあるため、この時期の日英関係を再検証することで近代全般にわたる通説の再考察も促すことができるのではないかと考え、この時期に注目したのである。この研究は、主に筆者が英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス国際関係史学部博士課程に在籍していた2011年から2016年に進められ、研究成果は博士論文として2015年9月に提出した。鳥井フェローとして活動していた2017年4月からの2年間は、博士論文を著書として出版するために必要な追加調査及び執筆作業に費やした。
研究成果
近代の日英関係は概ね友好的であったという通説が根強く影響力を保っているが、実際には、少なくとも1876年から1895年の間の両国間関係は、友好的と言うには程遠い状況であったということが、本研究の結果明らかになった。その理由の一つは、1870年代後半以降に清国が東アジアで最も影響力の高いリージョナルパワーとして台頭したことである。この時期、清国は中華帝国が伝統的に行使していた東アジアの宗主国としての立場を利用して、清国が1870年代以降この地域で最も影響力のあるリージョナルパワーとしての地位を確立することに成功していており、日英両国はその東アジアの権益を保つためには清国との関係を優先させざるを得ず、そのことが日本とイギリスの関係に悪影響を及ぼしたのである。
日英両国の互いに対する印象も、良好なものとは言いがたかった。当時の日本の政策決定担当者の中で、列強の中でも屈指の影響力を有していたイギリスが、自分達の国を植民地とすることは絶対にありえないと確信できる人物は多くなかった。また、19世紀後半を通じて東アジアからオーストラリアなどの環太平洋英連邦植民地に渡った移民が現地の白人入植者達との軋轢や貿易摩擦を生んだことから、同時期のこれらの地域を中心に「黄禍論」が唱えられるようになるのだが、1880年代末からこれがイギリスの植民地だけでなく本国の人々にも影響するようになり、日本を含めた東アジアに対する不信感を募らせていった。そして日英両国の相互不信は、条約改正交渉が停滞するにつれてさらに募っていき、1880年代末には業を煮やした大隈重信外相が条約の一方的廃棄を提唱するという一幕もあった。相互に不信を抱く両国が交渉は一筋縄では行かず、結局条約改正問題の解決には半世紀もの時間がかかった。
もちろん、日英関係は決裂状態と言えるほど悪かったわけではない。日英両国の政策決定担当者は、両国間関係が極端に悪化してしまうことだけは避けなければならないという意識の下で互いに対する方針を確立していた。だが、日英両国の政策決定担当者達がそのような事態に陥らないようにすることを意識していたということは、むしろその事実自体がこの時期の日英関係は一歩間違えば決裂しかねないような状況にあったということを如実に表している。決裂状態ではなかったとはいえ、日英両国の相互不信はかなり強く、この時期の日英関係はどちらかと言うと悪かったのである。
今後の見通し
本研究は2020年11月にRoutledge社によって著書として出版される予定で、サントリー文化財団海外出版助成にも採択された。
2019年5月