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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2016年度

応急仮設住宅の終末論―関東大震災から東日本大震災まで―

東洋大学理工学部助教
冨安 亮輔

 東日本大震災から7年が経った。恒久的な住まいができると、仮の住まいは役目を終える。東北地方を中心に建設された大量の仮設住宅は今後どうなるのであろうか。使い終わったらスクラップして廃棄するのだろうか。過去の災害や海外での事例では、どう対応したのであろうか。これまでの建築学研究は“つくる”ときに注力する傾向にあった。本研究では建築が“なくなる”ときに焦点を当てる。
 現代のような仮設住宅は関東大震災(1923年)からと言われている。本研究では仮設住宅が建設された今日までの災害を対象として、建築物(ハード)としての最期を、災害発生時の社会情勢や仮住まい終期の被災者の生活(ソフト)に注目しながら明らかにすることを目的とする。これらの検討は、東日本大震災の仮設住宅をどのように“なくす”か、未来の災害に備え仮設住宅をどのように“つくる”か、を考えることにつながり今日的意義があると考えている。
 関東大震災では、自分で自宅を建て直したり家を借りたりできる経済力がある者は入居対象から除かれていた。酒田市大火(1976年)では被災世帯の20%相当が建設されたが、雲仙岳噴火(1991年)では全ての被災者に供給され、対応が変革した災害であった。構造形式については、簡素な木造から始まり、ハウスメーカーによってプレハブ住宅が開発された1960年代以降、仮設住宅に採用された。具体的には酒田市大火と兵庫県一宮町の土砂災害(1976年)からである。ここでは関東大震災、転換期といえる2つの災害を中心に報告する。
 関東大震災では2,158戸が建設され、1925年から1927年にかけて処分された。このうち平塚仮住宅は浄土宗共済会に譲渡され労働者階級の独身者のために8年間、砂町仮住宅は賛育会に譲渡され専ら少額収入階級者のために6年間、集合住宅として引き続き使われた。一方、方南仮住宅と藍崎町仮住宅では、居住者に同潤会普通住宅へ優先入居権が与えられていたにも関わらず、経済的理由から移り住みが進まなかった。管理者である同潤会の記録であるが、最後まで住んでいた者とは自力更生の能力のない敗残者かその意志がなく自暴自棄な人々で、居住者間の相互扶助はなく、むしろ刃傷沙汰が耐えない殺伐とした雰囲気であったそうだ。いずれにしても困窮者が最後まで住み続けたことが分かる。
 酒田市大火では198戸の仮設住宅と238店の仮設店舗がプレハブで建設された。現在と違い仮設店舗は商店主が金融機関から資金を借り受けて建設されたものであった。1年8か月の営業の後、商工会議所が中心となって広く売却され、物置・駐車場・建設現場の休憩所等となり、売却代金は各商店に配られた。仮設住宅についても80戸が県から市へ払い下げられ、学校の用具置き場や自治会の集会場に転用された。バラバラにして別の場所で再構築できるプレハブの特徴を確認できる。
 雲仙普賢岳噴火災害では仮設住宅がプレハブで1277戸と木造で178戸建設され、利用期間は4年4か月であった。終盤には、プレハブ住宅の24棟が二戸一改修され内部空間のゆとり化が図られた。木造の82棟については、公営住宅建設が追いつかないことから、大規模な改修(戸境壁の撤去、玄関・脱衣場・押入れの新設、屋根の葺き替え)が施され公営住宅に準ずるものとして整備された。さらに430戸で基礎の補強工事が行われ長期使用に対策がなされた。そして、警戒区域が解除されても土石流を心配する被災者は自宅に戻らなかったため、避難所(倉庫)として利用された。1993年2月時点でその数は512戸にのぼった。全ての被災者に仮設住宅を供給したことと同じように、住み始めてからも、終盤になってからも被災者の要望に柔軟な対応がなされたことが分かる。
 紀伊半島大水害(2011年)は、東日本大震災から5か月後に起きた山間部過疎地域を襲った災害である。158戸の仮設住宅が木造とプレハブで建設され、2015年3月まで使われた。このうち奈良県十津川村では、木造仮設住宅のうち1棟をバラバラに解体した後、別の地域で若者の定住促進住宅として再利用していた。同様の取り組みは宮城県南三陸町でも行政の事業で行われているが、十津川村では地域コミュニティが主体的に行っていた。
 研究当初は時代とともに建設技術が発展し、仮設住宅のリユースやリサイクルも進んだのではないかと考えていた。しかしながら、関東大震災では場所を変えたリユースではないものの、現地にて類似用途にマイナーチェンジして使われ続けたことが明らかになった。これ以降の終期の使われ方については、被災者だけでなく社会の住まいのニーズに対して、仮設住宅管理側の姿勢と建設技術を含む社会技術が関連していると考えられる。本研究では我が国の事例を中心に資料を精査したが、海外の事例については時間的制約から精緻な検討までには至らなかった。今後は先進国を中心に展開し、さらなる比較検討を進めたい。

 

2018年5月

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