成果報告
2016年度
ジャズ・オペレッタからナチ・オペレッタへ―1920-40年代の大衆喜歌劇における風刺表現と演出の変遷―
- 京都大学人文科学研究所助教
- 小川 佐和子
研究の動機・意義・目的
本研究の目的は、世紀転換期から第二次大戦期にかけてのドイツ・オーストリアのオペレッタ(大衆喜歌劇)およびカバレット(大衆寄席)における社会・政治風刺表現と演出の変遷をたどり、その芸術・娯楽ジャンルの横断的な側面、さらにナチス占領以後の越境する人材の移動について究明することである。本研究では、これまでの研究では分断されてきた音楽史・演劇学・映画史の各領域の成果と方法論を射程に入れ、総合的な大衆文化論をめざした。こうした新たなアプローチによって作品の受容と展開を多面的に探求し、研究対象の意味・意義・価値を検討するものである。
世相を揶揄し、政治的パロディーに満ちたオペレッタやカバレットでは、個々の作品が上演される場、すなわち生きた舞台上で機能する風刺のアクチュアリティが作品それ自体を常に作り変えてきた。他の表象文化とは異なり、今も生まれ変わるオペレッタの意義を解明するには、楽譜分析や台本テクスト分析の専門的知識だけでは不十分であり、また、「映画」「演劇」「オペラ/オペレッタ」といった既成のジャンル区分で見ている限り、ジャンル間の相互浸透は見えてこない。そこで各分野に特化しない領域横断型の文化史的アプローチにより、複数の舞台・視覚娯楽芸術の相互交流を解明しようとする本研究へと至った。
本研究は、「時代の鏡」(カール・クラウス)として機能したオペレッタの総合的研究を通じて、従来の舞台芸術史研究の欠落部分を埋めようとする試みであり、その特質を徹底的に検証し定位することにより、総合的な比較表象文化の観点から、文化史研究一般に対して新たな分析と評価の契機を提供するものである。
研究成果や研究で得られた知見
調査対象である、オペレッタ上演時の脚本・演出台本・プログラム・記録写真・舞台装置画・衣装画といった一次資料は、いずれも現地調査を必要としたため、本支援により多くの貴重な研究資料を収集することができた。それらの資料調査を通じて得られた成果および知見は、次の三つに集約される。
① オペレッタの古典期からジャズ化への移行:音楽史の観点
② 世紀転換期からナチス占領下の演出の変遷:社会学的・歴史学的研究関心
③ 亡命音楽家の人的交流:越境的な文化史の協働面の研究
第一次大戦後のアメリカ文化の流入を受けて、これまでの西欧音楽中心のオペレッタには見られなかったアメリカ音楽にもとづくナンバーが挿入され、これが戦間期のジャズ・オペレッタの最大の特徴を形成していったという音楽史的意義が明らかとなった(①)。オペレッタは、オペラ・カバレット・映画・演劇・美術・大衆文学といった隣接領域と不可分の関係で成立しているのであり、特に1920-40年代はヨーロッパ音楽とアメリカ音楽とが混在するという、国境をも越えた音楽史の展開が顕著となってくる。
さらに、上演時の時代背景や各劇場の伝統、各都市の演劇的状況を踏まえた上で、個々の上演作品に描かれた風刺の意味を精査するとともに、ナチス台頭以降、オペレッタのリベラルな風刺演出がどのように変化せざるを得なかったのかを考察した。検閲により体制に「正しく」あるべき演出が施され、即興性が魅力であったオペレッタの風刺はもはや不可能となり、現実社会を笑いで批判する即興的風刺と、イデオロギーを注入する国策の方針とは、互いに相反するものであった。この時代、他の全ての表象文化において物語叙述と物語の受容が変化せざるを得なかったという状況が、オペレッタ・ジャンルの終焉をも促したことを解明した(②)。
オペレッタ創作にかかわる人材のナチスによる分断、その後映画界への流入や亡命先の演劇界での活動を調査し、作り手たちの協働を明らかにした(③)。この観点では、映画史と演劇史の溝を調べるとともに、オペレッタがレヴューやミュージカルへと移行していくあいだの様相、さらにはのちに映画音楽を手がけることとなった作曲家たちの動向などを把握することができた。
今後の課題・見通し
伝統を保持しつつ今もなお生まれ変わり続ける大衆喜歌劇の意義を検討し、各分野に特化しない領域越境型の文化史としてのアプローチと総合的な大衆文化論の記述を引き続き今後の課題として据える。
さらに、各劇場で最新の演出を確認し、現代のオペレッタ演出と風刺表現にどのような可能性があるのか検討しつつ、現地の研究協力者との連携を密にし、現場にかかわる舞台人(監督、ドラマトゥルク、役者)の方々へのインタビューや作曲家の遺族にも協力を仰ぎ、大衆喜歌劇の現代的意義をも明らかにしていく。その際には、現在の上演作品の選定や劇場の抱える問題、舞台人と社会の関わりなど、歴史の断面図の堆積を貫く「いま」につながる視点から、個々の作品の過去と現在におけるアクチュアリティを解明していくことにも重きを置く。
2018年5月