成果報告
2016年度
モンゴル帝国期多民族共生社会と文化交流に関する国際共同研究:イラン所蔵の多言語文書と中国・イスラーム陶磁の歴史・考古・美術史的考察を軸として
- 早稲田大学中央ユーラシア歴史文化研究所 招聘研究員
- 四日市 康博
本プロジェクトは、もともと2008年に発足したイラン・中国・日本間の国際共同研究プロジェクト「モンゴル帝国期の多言語複合文書研究」を前身とする。2012年3月にイラン国立博物館と同館所蔵モンゴル期多言語文書(アルダビール文書)の世界初となる正式な共同研究協定を締結し、独占的に文書史料の調査および成果発表がおこなう権利を得た。その結果、数次にわたって体系的な文書調査をおこない、十数件の新出モンゴル語・トルコ語およびアラビア語・ペルシア語複合文書を発見した。本研究助成では、上述の多言語文書研究に加えて、同時期に中国などアジアからイラン・イスラーム世界にもたらされた陶磁器の調査・研究をおこない、両問題の関わりを通じて3つの異なる社会(イラン・イスラーム社会、中国社会、トルコ・モンゴル遊牧社会)の共存・相克関係について考察をおこなった。その概要は以下のとおりである。
(1)多言語文書から見た東西ユーラシアにおける統治・分配・所有システムの相互影響研究
シャイフ・サフィー・ウッディーン・アルダビーリー廟文書(アルダビール文書)はイランにおけるモンゴル政権と様々な社会集団、とりわけサファヴィー教団との関係を反映したものである。これらの文書群はサファヴィー教団の権益・財産保護のための証文として保存されたと見られる。
一方、モンゴル帝国やイルハン朝は多民族・多宗教から成る複合国家であったが、支配領域であったイラン・中央アジアの社会にもイラン・イスラーム以外の人々が含まれており、イルハン朝の文書行政は多言語環境においておこなわれた。モンゴル帝国時代の命令文書には、モンゴル語・トルコ語・チベット語・漢語・ペルシア語・アラビア語といった言語の違いにもかかわらず、「モンゴル帝国命令文書様式」と呼ばれる構造的・語彙的な共通性が見られる。本プロジェクトでは文書中のモンゴル帝国的要素に着目し、ユーラシア全体における位置づけを試み、新発見のモンゴル語・トルコ語とペルシア語・アラビア語の複合文書を中心に基礎研究をおこなった。現在、個々の日本語・英語論文およびペルシア語の論集を刊行する準備を進めている。
(2)陶磁器から見たモンゴル覇権下東西ユーラシアにおける政治・経済・文化交流研究
モンゴル帝国期のイランにはイルハン朝が成立したが、その支配下ではキーシュ王国とホルムズ王国がインド洋貿易・対中国貿易の担い手として主導的な立場にあった。キーシュとホルムズは共にペルシャ湾の国際商業拠点として王都を中心とした都市圏ネットワークを形成し、その港湾を起点としたキャラバンルートは主要な中継都市を経由してファールス州の州都シーラーズまで延び、さとらにはイルハン朝の都であったタブリーズやバグダードにも達していた。我々のプロジェクトは2014年から2016年にかけてイランと共同でペルシャ湾岸のホルムズ、キーシュの商業圏およびキャラバンルートの調査を実施し、新発見の遺跡を含む主要な中継都市でいずれも中国陶磁片・東南アジア陶磁片・イスラーム陶片の散布を確認した。その出土のピークのひとつはいずれもモンゴル時代であり、日本をしのぐ規模の中国陶磁の流通がイランにあったことが明らかになった。その成果は2016-17年に各国際学会等で順次公表しているが、引き続き、イランにおいてキャラバンルートの調査と表採資料の整理を続ける予定である。
(3)イラン・イスラーム社会、中国社会とトルコ・モンゴル遊牧社会の共存・相剋の構造
上述のモンゴル期多言語文書行政と陶磁器流通は一見、何ら接点を持たないような印象を受けるが、共に調査・研究を進めるにつれて、両者の接点となるポイントが明らかになってきた。ひとつはアルダビール文書をはじめとする文書中に残るオルトク商人関連文書である。オルトクとは支配者の庇護を受けた特権商人であり、モンゴル政権の中枢と紐帯を有すると同時にインド洋貿易・対中国貿易にも関与していた。もうひとつは、イランのキャラバンルート上に残るスーフィー教団関連の遺構に残された碑刻史料および陶磁片資料である。特にカーゼルーン教団やダーニヤール教団は中国貿易との関連も深く、遺構からは比較的多数の中国陶磁片を確認することができる。これはモンゴル支配下のイラン・イスラーム社会の中にも中国や中央アジア同様に、政権・教団・商人の相互依存体制が存在し、さらにはモンゴルと非モンゴルのパトロン・クライアント関係が介在していたことを示唆する。これらの成果の一部は、国際会議で口頭発表、国際学術誌へ論文掲載された。
2017年9月