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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2016年度

NHKの「農事番組」の成立と行方:番組制作者と情報提供者の〈関係性〉から見る戦後メディア史

静岡文化芸術大学文化政策学部 准教授
舩戸 修一

本研究は、NHKの「農事番組」を手がかりとして番組制作を担った「農事部」「RFD(Radio Farm Director)」と農村において番組制作において重要な役割を果たした「農林水産通信員」との〈関係性〉だけでなく、番組制作者であるディレクターとカメラマンとの間のせめぎ合いも示すことによって農事番組制作者の内部におけるポリティクスも明らかにする。

そもそも番組制作者への聞き取り調査から、代表的な農事番組『明るい農村』の1コーナーである、農村ドキュメンタリー「村の記録」(1962~1986年)を制作していたディレクターには、その番組モチーフとして「猫の目農政」と揶揄される戦後農政に翻弄される農業・農民をいかに描くかがあった。その意味では、番組制作にジャーナリスティックな志向性を見いだすことができる。しかし、1970年代に入ると、確かに国家や外部資本による「犠牲者」としての農業・農村を描いた「村の記録」がないわけではないが、農地を資産として活用していく農民や「食」の問題を取り扱う番組が出始める。このような番組制作の背景には、農業現場が大きく変容していく中で、早朝の番組として視聴者のほとんどが都市部の住民であることを考えると、農業・農村の問題を真っ正面から提示するような手法への迷いや葛藤があった。このように農事部内においてディレクター同士で「村の記録」に対する考えや姿勢の相違が見られるようになっていたのである。

一方「村の記録」のロケに参加していたNHKの「撮影部」に所属するカメラマンも『明るい農村』という農事番組のタイトル通り、1970年代以降、農業が斜陽化するなか、“農村の明るさ”を描けないことに気づいていた。しかし、農業・農村の将来的な展望が描けなくても、担当ディレクターの意向を受けてカメラマンは「村の記録」の番組制作にかかわっていた。

この番組を制作する際、カメラマンは、番組内容や制作意図についてディレクターとの意思疎通が相当求められていた。というのも、実際の撮影に入ると、その指示はディレクターができても、その撮影内容の決定権はカメラマンが握っていたからである。当時の撮影機器は、フィルムカメラであったため、現場での再生ができない。何が撮れているかは、現像してみないと分からない。また、撮影の際に覗き込むフィルムカメラのファインダーには光が少しでも入ると鮮明な映像にならない。よってファインダーを覗き込む際、カメラマンは細心の注意が求められる。これだけでなく、被写体のサイズ取りや適正なフォーカスなどもできているか、現像してみないと確認できない。こうして番組を制作するディレクターはカメラマンの個人的技術に依存せざるを得なかったのである。

また当時のカメラフィルムは高価で、かつテープと異なり、撮影できる時間は短い。それゆえ、ディレクターの制作意図を十分承知したうえで、限られた時間で必要なシーンを撮影しなければならない。場合によっては、編集段階になって必要となる映像もあるため、ディレクターの指示はなくても、カメラマン自身がディレクターの制作意図を汲み取り、フィルムカメラを回しておくこともあった。このようにカメラマンは、担当ディレクターの番組制作の意図を事前に十分理解しておくことが求められていたのである。

さらにフィルムカメラであるため、撮影できる時間も短く、現場の撮影では何度もフィルム交換をしなければならない。農民への聞き取りシーンの撮影中にフィルムを交換しなければならなくなると、これまでのシーンが一旦切られ、話しがつながらない可能性が生じる。そのため、ディレクターだけでなくカメラマンも聞き取りの会話に積極的に参画し、撮影シーンをつなげていく必要性もあった。

こうして「村の記録」の制作には、番組を構成するディレクターの主導ではなく、カメラマンの関与も見逃せない。そこには、農業・農村を描くことに対する考えや姿勢だけでなく、当時の撮影機器であるフィルムカメラの性質によって規定される側面があった。両者のかかわり合いやせめぎ合いからだけではなく、このような撮影機器をめぐる「テクノロジー」から「村の記録」の制作プロセスを明らかにすることは、今後のドキュメンタリー研究においても新たな知見をもたらすと思われる。

なお「村の記録」には、番組構成を担当する農事部のディレクターや撮影部のカメラマンだけでなく、番組の「編集」担当者も制作に携わっている。このように「村の記録」の制作が分業によって成り立っていることを考えると、今後の課題として編集担当者にも聞き取り調査を行えば、また別の立場から「村の記録」に対する考えや姿勢が明らかになり、制作プロセスやそれをめぐるポリティクスをより詳細に描けると思われる。

2017年10月


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