成果報告
2016年度
満州の体育・スポーツに関する学際的研究
-基礎的資料の作成と総合的実証-
- 京都大学大学院文学研究科 准教授
- 高嶋 航
満洲は帝国日本におけるスポーツの中心の一つだったにもかかわらず、同地のスポーツの実態は、日仏競技(1927)、都市対抗野球での三連覇(1927-1929)のような若干の例外を除いて、ほとんど知られていない。同じ「外地」でも、朝鮮や台湾では現地の研究者や日本の研究者によって研究が進められつつある。本研究は、帝国日本のスポーツを考察するうえでミッシングリンクとなっている満洲を対象に、その実態を解明するための第一段階として、関連資料の収集、整理を実施することを目的にしている。
満洲のスポーツに関連する史料は大量に残されている。しかし、スポーツに特化したものはほとんどなく、また関連する研究もないので、満洲スポーツの概要を知ろうとすれば、新聞・雑誌から丹念に記事を拾い上げていくしかない。これまで研究が進展してこなかったのも、このような史料状況によるところが大きい。
本研究はこの状況を改善するため、①そもそもどのような史料があるのかを整理し、②最も基本的な史料となる『満洲日日新聞/満洲日報』(1907-1944)のスポーツ関連記事を収集することとした。
①に関しては、国内外の図書目録等で関連史料をリストアップしたほか、国会図書館等で部分的に収集をおこなった。その結果、国内の史料については、ほぼ全容を把握した。中国所蔵の史料については、『中国館蔵満鉄資料連合目録』などでおおよその目星をつけているが、現地調査までには至らなかった。この点は、2017年度の課題としたい。
②に関しては、国会図書館、北海道大学所蔵のマイクロフィルムを利用して、収集をしている。本研究開始前に約1500頁分コピーしていたが、この一年間で、5000頁分をコピーした。しかしこれでも『満洲日日新聞/満洲日報』の発行期間の1/3をようやくカバーしたにすぎない。2017年度はさらに収集を続け、2/3をカバーすることを目標とする。
以上のように、史料の収集、整理はまだ半分にも至っていないが、それでも数々の知見を得られた。たとえば、満洲では一年を通じてどのようなスポーツがおこなわれ、どのような大会が開かれていたのか。外来チームがどれくらい来たのか。スポーツに関係する組織、倶楽部はどれくらいあったか。こうした問題に対して、大まかな回答をできるくらいまでには史料を蓄積できた。2017年度は史料の収集、整理とともに、各メンバーの個別研究も進めていくつもりである。
2017年8月