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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2016年度

インドネシア9・30事件をめぐる冷戦期東アジアの国際政治

慶應義塾大学名誉教授
倉沢 愛子

本研究は、このインドネシア政治社会史の文脈においても、また国際関係の文脈においても重要な意味を持つ9・30事件(1965年)をめぐるアジアの国際関係を、冷戦構造のなかで再考察しようとするものである。日本、中国、台湾、韓国、北朝鮮、ヴェトナム、フィリピン、マレーシアなどの地域研究の専門家(本研究プロジェクト参加者)が協働し、1965年から67年にかけて起こったインドネシアの政変前後におけるそれぞれの国とインドネシアとの関係を分析することを基本的な作業とし、何回かにわたって研究会や意見交換を行った。その他に、メンバーのうちの何人かがさらに以下のようなテーマを単独であるいは共同で取り上げフィールド調査を行った。

(1)中国と9・30事件について

以前から中国の9・30事件への関与については言われていたものの、この事件そのものには中国は直接に関与していいないこと、インドネシア共産党幹部と中国首脳部で、クーデタのプロットについては話があったが、時期については中国も知らなかったし、これに基づいて実行されたわけではないことが研究メンバーの一員であるTaomoZhouが中国の公文書を用いることによって明らかになった。

(2)台湾をめぐる政治

台湾は、9・30事件を機に、国交が凍結された北京政府に代わってインドネシア工作を強化した。馬場公彦が台湾外交部亜太課の史料を用いて研究した結果、台湾は経済援助を申し出、友好関係の構築を企図したが、インドネシア政府は、「二つの中国」を認めないという立場に基づいて、国交樹立は行わないという基本方針を堅持し、非公式な関係にとどめたことが判明した。

(3)マレーシア連邦形成との関連

1963年のマレーシア連邦形成以降、ボルネオ島のサラワクで連邦編入反対の左派運動発生し、ボルネオ島のインドネシア側のインドネシア共産党勢力と共闘していた。ところが9・30事件以降、この協力関係が徐々に減退がした。松村智雄がサラワクに赴き、そこでの動きについて調査を行った。

(4)日本との関係

当初はスカルノとの「特別な関係」があり、スカルノを支持していたが、その後情勢を見て(スカルノが事態収拾に動かないことを見て)スハルト支持に切り替えた。その後の大量虐殺については日本ではほとんど報道されなかった。最終的にスカルノ政権が倒れ、開発政策を掲げるスハルト政権が成立したことにより大規模な日本の経済進出が始まった。その間の日本の動きを倉沢愛子が外交史料館の史料を活用して分析した。2016年末に、これまで公開されなかった新たな文書も倉沢の公開請求が求められて公開され、さらなる詳細が判明した。

(5)9・30事件以降の「帰国華僑」調査の結果

9・30事件以降一部の華僑・華人が様々なハラスメントを受けて中国への帰国を余儀なくされ、その多くは華僑農場という集団国営農場に収容された。馬場、松村、倉沢の三名ですでに本助成開始以前に、香港及び中国広東省(広州市・英徳市・梅州市)の華僑農場、帰国華僑聯誼会において帰国華僑とのインタビュー調査を行っていたが、本助成金を活用して、2017年6月に、TaomoZhouも加え、さらに厦門大学施教授の同行のもと、合同で福建省(厦門市、三明市)での調査を実施した。

(6)今後の予定

9・30事件に関連したインドネシア政府の文献資料が国立公文書館にかなり所蔵されていることが判明したため、2017年1月から2月にかけて倉沢が収集したが、その文書量が極めて多いため、この作業はまだまだ未完了である。今後も継続の予定である。

また、朝鮮半島、フィリピン、ヴェトナムとの関係は、それぞれの担当者が時間の許す限り個人的に研究を続けたものの、この一年間には大きな成果は出なかった。今後できる限り継続する予定である。

さらに9・30事件以降北京で、亡命インドネシア人たちによって発行された左派のインドネシア語紙Suara Rakjat Indonesiaが早稲田大学アジア太平洋研究センターの増田コレクションに所蔵されているため(早稲田大学所蔵)この読破も必要である。

2017年9月


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