成果報告
2016年度
従軍慰安婦問題をはじめとする歴史認識問題に関わるオーラルヒストリー調査
- 神戸大学大学院国際協力研究科 教授
- 木村 幹
1.研究目的
本研究の主たる目的は、現在日韓関係で問題となっている、歴史認識問題の関係者に対して、大規模なインタビューを行い、オーラルヒストリーを形成する事にある。
これらに対するインタビューを行う事で、日韓両国間において、どうして歴史認識問題が深刻な問題として浮上し、現在の状態に至ったかを明らかにし、今後の日韓関係の改善に資することとする。
2.研究の結果得られた知見
今年次は韓国国内および東京都内での調査を実施した。調査は2016年8月、2017年3月、2017年7月(2回)の4回にわたって行われ、10人以上の人物からのインタビュー結果を蓄積した。
このような調査において極めて重要なのは、慰安婦問題の展開過程、とりわけ河野談話を前後する時期の日韓外交当局者の認識に大きな齟齬が存在する事が明らかになったことである。この点については以前から、河野談話における慰安婦動員の強制の認定根拠に対する見解が、韓国人元慰安婦に対する聞き取り調査を重視する立場をとる河野や官房副長官であった石原信雄らと、それよりもスマラン事件等の既に確定の済みの一部事件を根拠にする外務省関係者との間で見解が分かれている事が知られていたが、今回の調査においては、それ以前に河野談話そのものの位置づけについて、大きな食い違いがあることが明らかになった。
具体的には、まず当時の韓国外交当局者が河野談話を当時の文脈における慰安婦問題の「最終決着」であったと述懐したのに対し、逆に当時日本政府側で取りまとめに当たった元外交官は河野談話を謝罪から補償等に至るステップの一つにすぎず、当然、後続する措置が必要であると認識していた、と回答した。このことは、日韓の外交当局者間の間に河野談話の位置づけに関わる十分な協議が行われなかったことを意味している。
とはいえその事は、河野談話に対する日韓両国の理解の差が、「国家単位」で存在していたことを意味しない。何故なら、同じ日本側においてもこの談話の位置づけに関わる見解は同一ではないからである。即ち、先の日本の外交当局者の述懐とは逆に、後にアジア女性基金の創設に携わった大学教授は、アジア助成基金の創設を「河野談話により一旦終わったものを新たに動かす試み」として認識していた。このことは即ち、村山政権期に慰安婦問題に携わった人々が宮沢政権期の外交官僚とは異なる認識を有していたことを意味しており、先の談話内容に関わる官邸と外務省の間の理解の差同様、当時の日本政府内において河野談話に関わる確固たる共通理解が存在しなかったことを意味している。
このような日韓両国における河野談話にかかる認識の不整合は、後のこの談話を巡る混乱した議論をもたらした大きな原因となったと考えられる。
2017年9月