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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2016年度

21世紀の「他者」理解:文化的集団淘汰仮説の検証を通じた新たな思想の構築

名古屋大学大学院環境学研究科 教授
大平 英樹

1.研究の目的

近年,文化,宗教,人種などをめぐる摩擦が世界中で生じ,その結果として紛争やテロが多発している。本研究では,進化人類学において近年展開されている文化的集団淘汰仮説を基盤とし,現代社会におけるヒトの協力と葛藤の諸問題を学際的に検討し,実証的に妥当性を検証できるような仮説群を構築することを目的とした。さらに,そうした研究を通じて,新たな人間観を提唱し,現実社会における葛藤問題の解決のための示唆を提供することを目指した。

2.研究の方法と成果

(1)研究の方法

①心理学,人類学,経済学,現代思想,のそれぞれの観点から,文化的集団淘汰仮説を,文献研究に基づいて批判的に検討し,それを現代社会に適用して文化,宗教,人種などにおける外集団に所属する「他者」の理解と協力可能性を考究するための仮説群を構築した。

②それらの仮説を実証的に検討するために,経済学的な交渉ゲームを応用した実験課題を考案し,予備実験を行ってデータを収集した。これにより,上記の仮説群を検討した。

(2)ヒトの協力に関する進化心理学的知見

進化人類学および進化心理学では,ヒトは例外的に他者と協力を行う種であるが,一方で自己が所属する内集団と外集団を峻別し,集団間では闘争する種でもあることが,観察研究,実験研究,数理モデルによる研究で一貫して示されている。

(3)文化的集団淘汰仮説に基づく協力に関する知見

近年優勢になってきた文化的集団淘汰仮説では,人類が現在の大規模協力社会を手に入れることができたのは,集団間の闘争と,その結果としての他集団を文化的に吸収する過程によると主張されている。ボウルズとギンタスは,著書『協力する種』において数理モデルとエージェント・ベースド・モデルと呼ばれるコンピュータ・シミュレーション,さらに心理学や人類学の実証的知見から,この仮説を強く主張している。こうした文化的集団淘汰仮説を詳細に検討すると,大規模な協力が成立する条件として,1.集団間の境界の存在,2.集団内における規範逸脱に対する効率的な罰の存在,3.集団内の分散を減少させる諸制度(資源分配など)の存在,4.集団に利益をもたらす行動・制度・価値観が、集団の境界を超えて文化的に拡散していく過程の存在,5.緩やかな集団間競争,が考えられることが明らかになった。もし,これらの諸条件に一般性があるとすれば,現代社会における「他者」の問題は,これらの条件への介入により改善できる可能性があると考えられる。

一方,ボウルズとギンタスの主張には,理論面,実証面の双方から批判もなされている。例えば,シミュレーションの結果の解釈が恣意的であること,実証的証拠の引用が偏っており,特に人類学的証拠の扱いが杜撰であること,などである。

(4)実験研究による検討

そこで我々は,上記の文化的集団淘汰仮説の主張の妥当性を検証できるような実験課題を考案し,予備実験によるデータ収集を試みた。具体的には,「公共財ゲーム」と呼ばれる協力とただ乗りの葛藤事態,それによる集団全体の共栄と共貧の葛藤事態を表現する経済学的な交渉ゲームを,コンピュータ・ベースの実験課題として開発し,そこで被験者が数10施行の意思決定を行う実験を行った。その結果,必ずしも文化的集団淘汰仮説が主張するような内集団への「偏狭な利他性」を仮定せずとも,ただ乗りへの罰などの制度を緩やかに導入することで,個人の利得構造を変化させて協力を構築できる可能性が示唆された。

今後,この公共財ゲーム課題を,集団間の葛藤が存在する状況に拡張し,さらにそこでの葛藤の深刻さなどのパラメータを体系的に操作し実験を行うことによって,集団間の葛藤と協力の問題をさらに精緻に検討できると考えられる。

3.今後の課題

2年にわたりサントリー文化財団の研究助成を受け,人間の協力の進化に関する文化的集団淘汰の理論的妥当性を詳細に検討することができた。その結果,この理論は精緻であり,一定の条件下では妥当性があるものの,制約も多く,現時点では批判的に検討され乗り越えられるべきものであることが示唆された。

そこで今後の研究課題としては,実証的研究を行って,人間の協力が確立する上で集団間葛藤が必須であるのか否か,集団間葛藤が無くても協力が確立する条件は何か,を検証することが求められる。我々は,サントリー文化財団研究助成による研究成果に基づき科学研究費補助金に応募し,特設分野(紛争研究)・基盤研究(B)「紛争と協力の文化進化的基盤に関する学際的研究」が採択された。ここでは3年間にわたり,心理学の方法による実験研究,アフリカのサバンナヒヒのフィールド研究,コンピュータ・シミュレーションによる研究を行い,この問題を継続して検討する。

2017年9月


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