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研究助成

成果報告

2016年度

明治期における『方丈記』の受容の研究:夏目漱石の『英訳方丈記』を中心に

総合研究大学院大学 大学院生後期課程
プラダン ゴウランガ チャラン

 本研究の目的は、日本古典文学の名作として知られる『方丈記』を対象として、国内外におけるその受容と流通を明らかにすることである。具体的には、明治中期から大正期までに本作品が国内でどのように読まれたのか、また翻訳を通じていかにアメリカやイギリスなどの英語圏へと広がっていったのか、そして当時の海外の読者が本作品に対してどういった理解をもったのかといった点を、東西文化交流の観点から論じる。
 近代以後、『方丈記』に関する研究は盛んに行われてきており、その受容の歴史と特色については様々なことが解明されてきた。ただし、これまでの研究は国内における受容を中心に扱ってきたものが大半を占め、早くに世界文学の1つとして海外へ伝わったという事実はあまり注目されてこなかった。従って、世界文学作品として『方丈記』を位置付けつつ、海外におけるその受容過程を考えることは新たな知見を得ることにつながるであろう。とりわけ、海外における日本の古典文学の受容の研究は『源氏物語』など限られた作品に集中する中、早い時期に海外へ伝えられたそれ以外の古典作品の受容の研究に大きな意義があると思われる。
 上記した研究目的を達成するため、2017年度においては『方丈記』がいかなる経緯で海外へ伝わり、海外の読者にいかに理解されたのかを解明した。この取り組みにあたり、まずは漱石の「英訳方丈記」が提出される以前に、外国語文献の中でこの作品に関する言及がどの程度あったのかを調査した。この結果、1874年にアメリカで出版された百科事典の日本に関する記事の中で初めて『方丈記』に関する言及が存在したことが確認された。それ以後、フランスやイギリスなどの文献でも本作品について言及されるようになっていったのである。
 次に、本研究の主題でもある夏目漱石による『方丈記』の最初の外国語訳に関する諸問題について検討を行った。漱石の「英訳方丈記」は、この作品を世界文学へ導く最初の試みであったと評価できるものである。そこで、その内容の分析と周辺資料の調査を行い、漱石の『方丈記』の理解について明らかにした。特に、これまで仏教文学、あるいは隠遁文学作品として理解されてきた『方丈記』を、漱石がなぜ自然文学作品として解釈したのかを考えることが重要な課題としてあった。これに対し報告者は、これまであまり注目されてこなかった漱石の先生であるディクソン(James Main Dixon)について調査し、ディクソンがなぜ『方丈記』に関心を寄せ、その英訳を漱石に依頼したのかを検討した上で、漱石がそのような解釈をおこなった背景に、彼の存在が大きな影響を及ぼすものであったことを明らかにした。さらに、ディクソンが新たに行った『方丈記』の英訳及び鴨長明と英国詩人ワーズワースを比較して執筆した論文を、漱石の英訳の視点から考察した。
 以上の研究成果を念頭におきつつ、来年度は漱石の「英訳方丈記」以後における『方丈記』の受容について調査研究を進める。具体的に、漱石とディクソンの英訳や論文などにみる『方丈記』の解釈、また鴨長明像が、以後の翻訳や鴨長明に関する論文・記事などに対してどのような影響を与えたのかを明らかにする。例えば、南方熊楠・ディキンズによって行われた『方丈記』の英訳をはじめ、F. Hadland Davidや英詩人バジル・バンティングなど英語圏の知識人が、この作品をいかに受容したのかについて先行研究の整理と資料収集・分析を行い、それぞれの『方丈記』の理解について検討を加える。このような研究を通じて、19世紀末期と20世紀初頭における『方丈記』の受容を明らかにするとともに、国内外における『方丈記』の受容について総合的な考察を行う。また、明治期において外国人が日本古典文学のどのようなところに興味を示し、どのように受容したのを明らかにするために役に立つと思われる。本研究は、日本文学作品の理解にとどまらず、当時の日本文化が西洋にどのように受け入れられていったかを知る上でも手がかりを与えることになるものと考える。

2018年5月

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