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研究助成

成果報告

2016年度

明治百年祭(1968年)から見る「戦後」意識と近代化の記憶

京都大学大学院教育学研究科 博士後期課程
トパチョール・ハサン

 本研究は戦後日本の国家的メディア・イベントの一つである1968年「明治百年祭」を記憶研究の視点から考察したものである。「明治百年祭」は1964年の「第18回夏季オリンピック」と1970年の「日本万国博覧会」に挟まれた高度経済成長期の国家行事だが、戦後復興の象徴として国民に広く記憶されている「東京」オリンピックや「大阪」万博に比べて、「全国」的に展開された明治百年祭が想起されることは稀である。
 上記の三イベントを実施した佐藤栄作内閣は、1968年10月23日天皇皇后臨席のもとに日本武道館で「明治百年記念式典」を催した。全国に中継放送された祝典は、日本の近代化の歩みを言祝ぐ国民儀式のクライマックスであり、この年は全国各地で様々な関連イベントが展開された。しかし、「東京オリンピック」や「大阪万国博覧会」が盛んに研究されているのと比べ、「明治百年祭」に関する先行研究は圧倒的に少ない。だが、近年盛んになった記憶研究の視座から見れば、「明治百年祭」は高度経済成長期の日本社会で試みられた歴史認識再編のターニングポイントである。これまで日本の記憶研究においては、もっぱら「戦争の記憶」に関心が集中し「近代化の記憶」はなお周辺的である。本論文は、日本の記憶研究にメディア論の立場から新たな地平を切り拓くことを目的としている。各章の概要とそこで得られた知見は、以下の通りである。
 第一に、先行研究を整理し、「明治百年祭」を分析する際に必要なメディア・イベント論や記憶研究のアプローチについて検討している。 大衆社会化の中で拡散する国民アイデンティティを再統合する文化装置として、記念日や百年紀が記憶のポリティックスでもつ意義をメディア論との関係から明らかにした。すなわち、「記憶の場」(P・ノラ)の視座から見れば、フランス革命そのものよりもフランス革命百年祭や同二百年祭の方が重要な研究対象であるように、本論文においても明治維新「そのもの」より明治維新の記念「イベント」の時空間に焦点を絞っている。
 第二に、佐藤栄作内閣によって企画された「明治百年祭」をその準備段階からイベント終了まで全体像を紹介し、政府側の企画意図を明らかにした。政府は、記念式典だけでなく、数多くの記念行事や記念事業を展開し、多彩な広報活動を繰り広げた。さらに内閣府政府広報室も1966年と1968年の二度にわたって世論調査を行い、国民世論を見すえながらイベントを実施していた。政府が「明治百年祭」イベント全体を通じて日本の近代化を肯定的に捉え、戦争や植民地支配の影を払拭する「明るい」国民史の構築をめざしたことを明らかにした。
 次に、「明治百年祭」を契機として生まれた明治ブームの生成プロセスについて、知識人とマスメディアの役割に焦点を当て考察している。特に、教育社会学者・竹内洋が論壇雑誌の機能を説明する際に用いた「三つの文化界」モデルを応用している。竹内はピエール・ブルデューの議論を前提として、アカデミズムとジャーナリズムの影響関係を「限定文化界」(学界)、「中間文化界」(高級ジャーナリズム)、「大量(マス)文化界」(大衆ジャーナリズム)の相互作用から説明した。「明治百年祭」における論壇の議論も、1960年代初頭に「中間文化界」の総合雑誌上で展開され始め、やがて、政府に批判的な研究者により「限定文化界」である歴史学会を中心に反対運動が開始された。他方、1966年の政府のイベント公式発表以後、「大量(マス)文化界」であるマスメディアも論壇や学会の議論を素材として報道を量産し続けた。特に、明治期を舞台とする様々な新聞連載小説や大河ドラマの影響力は大きく明治ブームが引き起こされた。新聞連載では大佛次郎「天皇の世紀」(朝日新聞)から司馬遼太郎「坂の上の雲」(産経新聞)まで明治物が並び、この年のNHK大河ドラマは司馬遼太郎原作の「竜馬がゆく」だった。恒例の東宝「戦争大作」映画も翌年公開されたのは「日本海大海戦」である。こうして明治時代以降を明るいイメージでとらえる歴史観が浸透し、近代化に肯定的な記憶が構築されていった。
 続けて、地域比較の視点から中央(東京)の「明治百年祭」イベントと最も異なる展開を示した京都府開庁百年祭(以下、京都の「明治百年祭」) を取り上げる。過去百年間の近代化にスポットを当てた中央のイベントに対して、京都の明治百年祭は、千年以上の歴史をもつ古都(京都)の伝統に焦点を当てていた。記念事業の中でも、特に記念映画『祇園祭』(日本映画復興協会・1968年11月公開)を詳細に分析している。他の自治体が製作した「明治百年祭」映画がその地域の過去百年間の歴史を描くドキュメンタリー映画であるのに対して、この映画は五百年前の応仁の乱(1467年~)で中断した祇園祭の復活を描いた歴史物語である。
 さらに、国際比較の視点から、米国ハワイ州で行われたハワイ日本人移民百年祭(以下、ハワイの「明治百年祭」)を対象としている。このイベントのために皇族(常陸宮夫妻)をわざわざ訪問させた日本政府側とイベントを主催したハワイ日系人側の思惑の違いを現地新聞の報道を使って跡付けている。日本側の意図は、ハワイの明治百年祭記念映画『夜明けの二人』(松竹・1968年4月東京、同6月ハワイ公開)の現代日本の描き方から読み取ることができる。一方、ハワイの日系人が祝った「明治百年祭」イベントは、「移民100年祭」として苦労した日系一世の努力を称えるものであり、日本の近代化よりも日本の伝統文化に関心が寄せられていた。そのため、ハワイの「明治百年祭」では「平等院テンプル」(1968年6月建立)がシンボリックな記念碑となった。そのオリジナルは古都(京都)にあるもので、伝統文化へのノスタルジアが強調されていた。
 最後に、以上の議論を踏まえて次のように総括している。ここまで東京オリンピックと大阪万国博覧会の間で忘却されてきた「明治百年祭」は、戦後日本で政府が主導した最も大きなメディア・イベントの一つであることを実証的に確認した。「東京オリンピック=現在」、「大阪万博=未来」、「明治百年祭=過去」という3時制の相関を前提として、三つの国家的メディア・イベントは一つの統一体として考察されねばならない。
 なお、本論文の射程には2018年に「明治150年祭」を控えた「現代的」課題があり、さらに言えば、2023年に著者の母国で開催される「トルコ共和国百年祭」と比較検討されるべき「国際的」研究がある。

2018年8月

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