成果報告
2016年度
中国語歴史映画に見られる伝統建築イメージの構築:台湾映画『西施』(1965年)とその周辺
- 東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員
- 趙 斉
本研究は、歴史映画を伝統建築のイメージを作り出す一つの場として捉え直し、中国語歴史映画に見られる古建築セットデザインの分析を通し、建築史以外の領域で建築の伝統認識が近現代の中国でいかに形作られてきたかを解明するものである。研究対象として取り上げる台湾の歴史映画『西施』(1965年公開)は、国民党政府と公営制作所から手厚い支援を受け、中国伝統文化の視覚化を図った作品である。監督の李翰祥は、香港で歴史映画の制作で名を博してから1960年代に台湾で映画制作所を立ち上げ、80年代に大陸へ渡り、香港と大陸の合作での歴史映画制作を実現した。そのため、『西施』は60年代から80年代までの香港、台湾、中国の歴史映画制作を繋げたキーとなる作品であるとされる。
戦後の台湾は高圧な政治統制が行われ、政府の支持なしで映画制作は成り立たないため、当時の映画には当然プロパガンダ色が強いものが多い。しかし、当時の検閲は主に脚本に対するものであり、古建築表象を含める映像表現がさほど重要視されていなかったため、古建築表象には相当な自由度があったと言える。台湾省電影制片厰と李翰祥の国聯影業公司が合作で作った『西施』は、政府の資金を利用しながら、自由な古建築の表現が実現できていることが本研究で明らかになった。
本研究は、『西施』の古建築セットデザインについての分析によって、以下の3点を明らかにした。一つ目は、『西施』の中国古建築セットが、西洋古建築の要素が多く組み入れられたハイブリッドなものであり、西洋古建築の文法に沿って建物の機能と雰囲気が表現されていたことである。具体な分析例を挙げれば、『西施』は紀元前5世紀の呉越戦争を描いたものであり、台湾の国民党政権を暗示していた越の国の城門のセットと宗廟「禹王廟」のセットは、形態、材料、スケールにおいて中国古建築との相違が明らかでありながら、それぞれ、西洋の古城門と神殿と高い類似性が指摘できる。一方、大陸の共産党政権を暗示していた呉の国の宮殿「館娃宮」のセットには、中国の木造建築で不可能な広い吹き抜けと階段の組み合わせが提示されており、それは西洋の国家権力を代表する建物の中で権威を誇示する建築要素である。各セットとそれぞれのセットデザインに参照されたと考えられる西洋古建築の機能を比較すると、セットの建築機能と参照元とされた西洋古建築の機能がほぼ同じであることから、『西施』において古建築は、中国古建築の文法ではなく、同機能の西洋古建築の文法で表されていることが分かる。また、上述した三つの古建築セットに組み入れられている西洋古建築の要素として、石造であることとスケールが大きいことが共通点である。『西施』の古建築セットは、西洋古建築のような大きなスケールと丈夫な石造の特徴を組み入れることによって、西洋古建築の中心概念であるが、木造の小規模な建築が中心である中国古建築にないMonumentalityを呈している。
二つ目は、『西施』古建築セットデザインの参照元とされた資料が、当時台湾でヒットしていたスペクタクルな洋画史劇の中の西洋古建築の表現、および植民地時代に建てられた歴史主義建築である可能性が大きいことである。その理由は、1960年代の台湾にいた映画制作者が参照したと考えられる西洋古建築の情報源と比較した結果、洋画史劇の古建築表現及び歴史主義建築と、『西施』の古建築セットとの間の高い類似性が認められたからである。
三つ目は、『西施』の古建築セットに西洋古建築の要素が組み入れた要因は、国際進出するために、欧米の観客に受け入れやすいように作られたからであり、政治宣伝と距離があるということである。国際進出という目標と欧米の観客の受け入れに対する配慮は、『西施』の制作前と制作中において監督とプロデューサーの発言で示されており、洋画史劇と比肩できるものを作るという映画人の素朴なナショナリズムが根底にあると考えられる。『西施』の古建築イメージの政治宣伝との距離は、翌年に公開された、国民党営の中央電影制片所が作った歴史映画『還我河山』に見られる、中国古建築を参照元としており、それと異質な西洋古建築の要素は一切見られない古建築セットから窺える。ただ、『西施』のスペクタクルな古建築イメージは、公開後に、国民党政府の政治宣伝に組み入れられていることも、当時の映画評論で示されている。
上述のように、『西施』の古建築セットでは、多様なナショナリズムを背景に、西洋古建築の要素を用いて中国の伝統建築イメージを構築するという奇妙な現象が起きている。中国古建築をいかに西洋に示すということは、中国建築史研究においても1930年代からの重要な課題であるが、『西施』は中国語歴史映画において最初に答えを提示した大作である。『西施』の後に制作された香港、大陸の歴史映画大作では同じ課題に対する多様な角度から模索が続けられてきてきたが、それらの表現において、『西施』の古建築セットデザインの手法が調整されながら継承されていると考えられるが、その証明が今後の課題になる。
2018年5月