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研究助成

成果報告

2016年度

アイゼンハワー政権後期の台湾政策―国府の正統性及び台湾の地位を中心に―

立教大学大学院法学研究科 博士後期課程 
鍾 欣宏

但し書き:
 本研究は、史資料の入手、及び研究内容における論述の方向修正などによって、以下のような変更が生じる。研究のタイトルは「アイゼンハワー政権における『台湾地位未定論』の形成過程――『台湾の法的地位と中華民国の主権』への再考」。本研究は、前年度の研究成果を踏まえた上、さらに、アイゼンハワー政権の台湾政策において、「台湾地位未定論」と中華民国の台湾領有の是非を検討し、台湾の法的地位に関するアイゼンハワー政権期の学問的空白を埋め、そして、「台湾地位未定論・中華民国の不法占拠論」と「中華民国返還論」という二元論的二つの学説を乗り越え、両者を整合しようとする試みのものである。したがって、本研究の成果は、もともと設定した本年度のタイトルであったアイゼンハワー政権「後期」という時期から大きく逸脱してしまい、タイトルを変更せざるを得なくなったことをご了承いただきたい。



(1)研究の動機、意義と目的
 米国アイゼンハワー政権は、戦後の米華(台)同盟関係を規定した法秩序である米華相互防衛条約の締結を図った。本研究は、アイゼンハワー政権期における台湾の法的地位(The Legal Status of Taiwan/ Formosa)に注目する。台湾の法的地位をめぐる従来の研究(「台湾地位問題」)は、国際法解釈の方法で一定の蓄積がある。大まかに整理すると、台湾の法的地位がカイロ宣言、サンフランシスコ平和条約、日華平和条約によって中華民国国民政府(以下、国府)に返還したという説明、台湾の法的地位が対日講和条約によって決定されず、国府の台湾統治が亡命政府による不法占拠という「台湾地位未定論」したとの説明があった。その一方、米国の対中政策・対華政策をめぐる政治外交史の研究において、台湾の法的地位に対する断片的言及もあった。それは、「台湾地位既決・国府返還」論と「台湾地位未定論」に分かれる。いずれも、トルーマン政権期の「台湾海峡中立化声明」や対日講和条約をめぐる交渉を中心に検討してきた。しかも、「台湾問題」の核心的問題として考えられる「主権と安全」の問題において、「安全」の側面に圧倒的な関心を寄せてきた。本研究は、米国の台湾政策における「安全」の側面の重要性に異を唱えないものの、先行研究で注目を集めた米国トルーマン政権期の引き続き、米台関係史における重要なターニングポイントであったアイゼンハワー政権の台湾政策のなかの見落とされた「主権」という法的側面を中心に論じていく。
 前年度の助成研究の成果を踏まえると、アイゼンハワー政権は明らかに「台湾地位未定論」という政策をとったことが分かる。したがって、本年度の内容の基礎的な立場は、「台湾地位未定論」という学説の一翼を担うのである。本研究の目的は、アイゼンハワー政権における「台湾地位未定論」の形成過程を検討し、さらに、アイゼンハワー政権が創った米台間の法体制のなかで、「台湾の主権と国府の主権」との関係を整合して説明することまで深めることを試みる。



(2)研究で得た知見と今後の展望
 アイゼンハワー政権発足早々の最優先外交課題は、朝鮮戦争の休戦であった。朝鮮停戦交渉の最中、アイゼンハワーとダレスは、国連や国際的討議の場において、台湾の現状と将来が変更されるおそれがあり、米国もその「台湾問題」の討議というリスクを極力避けたため、台湾の法的地位の可変性と柔軟性を窺知できる。しかし、「台湾問題」の将来を意識していたものの、朝鮮停戦の達成後、台湾の法的地位の問題が国際的に討議されるリスクが一旦減少してきたのであり、「台湾問題」については一旦安堵したのである。米国政府は、「国府中国の一部としての台湾」という台湾観へ硬直化しつつあり、「台湾の法的地位」という考慮が弱かったことは否めない。台湾の法的地位に対する考え方がより柔軟になるには、さらなる大きな国際的事件の発生が必要であった。
 台湾海峡危機の勃発は、トルーマン政権期で議論された「台湾地位未定論」の再提起の契機になった。前年度の研究結果も指摘したように、アイゼンハワー政権は、トルーマン政権期の時の対日講和条約における台湾の帰属の曖昧性、という論理を用いて、「台湾地位未定論」を取り上げ、台湾関与の法的根拠として設定した。そして本年度の米華交渉の草案、ダレス国務長官が考案した「台湾及び澎湖諸島に関する米華共同宣言案」、連邦議会上院外交委員会における米華相互防衛条約への審議と勧告などの考察によると、アイゼンハワー政権は「台湾地位未定論」が再確認されたとしながらも、国府の台湾領有の正当性も認めようとしたのである。
 つまり、「台湾地位未定論」に基づく米華相互防衛条約が、アイゼンハワー政権の行政府も立法府も対日講和条約という法理をもって、それを再確認した。しかしながら、台湾の法的地位と国府の主権との関係について、国府の支配地が、法的地位未定の台湾は重なる下で、国府を中国の正統政府として承認している中、「台湾地位未定論」だけを強調すると、法的理論と現実との間には不条理が生じる。「台湾地位未定論」と国府の台湾統治との間の関係を整合した米華相互防衛条約が必要であった。米華相互防衛条約の締結は、軍事同盟の性格のほか、「台湾地位未定論」という前提で、台湾に対する国府の「施政権」も黙認した。こうして台湾の法的地位の未定、そして、国府の主権が台湾まで及ばないものの、台湾施政権の黙認という二本柱が、米華相互防衛条約という法的秩序に固定化されたのである。米国政治外交史の文脈では、「台湾地位未定論」と「中華民国の台湾領有」との間には、二元論的、両極のものではない。
 今後の課題は、米国の東アジア戦略、米国による戦後アジアの法秩序の再編成の過程で、如何に台湾の法的地位あるいは台湾の事例を位置付けるか、もっとマクロ的な研究方向へ進めようとする。

2018年5月

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