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研究助成

成果報告

2016年度

日清戦争と日英関係、1894-95年

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス国際関係史学部 博士後期課程
鈴木 悠

研究の動機・意義・目的
 東アジアをめぐる国際関係が複雑化していく近年、歴史的事例を検証し、先例から学ぶことで地域が現在直面する課題を解決しようという試みが盛んになっている。 19世紀の中国史は、1840-42年のアヘン戦争に敗れた清朝中国(以下、清国と記す)が自らの意思とは裏腹に西洋諸国への開国を余儀なくされ、最終的に列強と日本によって領土を割譲された、近代帝国主義の被害者と理解されることが多い。だが、この通説は近年岡本隆司などによって見直されており、彼等は、日清戦争に敗れるまでの清国はむしろ東アジア国際関係の能動的なアクターであり、しかもこの地域においてかなり強い影響力を有する国であったと立証した。
 これらの先行研究を念頭に、申請者は英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス国際関係史学部博士課程在籍中に、当時の東アジア国際関係に関与していた清国以外の国々が、このような状況下でどのようにして対外方針を確立していたのかという点の究明に努め、その目的のために1876年から1894年までの日本とイギリスの日英二国間関係を検討し、それが東アジアの地域的国際環境からどのような影響を受けていたのかという点の研究を行った。この研究成果は博士論文として2015年9月に提出した。
 2016年鳥井フェローシップに採用していただいた1年の間には、この研究をさらに発展させて英語の著書として出版するために、日清戦争期(1894年7月~1895年5月)の日英関係について研究を行った。日清戦争はそれまでの東アジア国際関係における一大画期であったが、それにもかかわらず日清戦争中の外交・軍事史の研究は数が少なく、特に日本の外交・軍事政策が当時の朝鮮半島を取り巻いていた国際的環境にどのように影響されていたかを理解しようと試みたものが皆無である。この点を解明し、19世紀の日清戦争期の研究を深化させることが、本研究の目的となる。


助成期間内の研究結果と、今後の課題・見通し
 現在発表されている19世紀日英関係史の先行研究の多くは、両国間の友好的な部分を強調しすぎる傾向がある。例えばグレース・フォックスやオリーブ・チェックランドは、イギリスはお雇い外国人を通じて日本の近代化を促すべく尽力し、日本人もまたイギリスから近代社会のエッセンスを真摯に学ばんとした「良き師弟関係」としてこの時期の日英交流を描いている。また、大澤博明や平間洋一、村島滋のように、日英両国は外交や軍事戦略の面でも数多くの共通利益を有しており、最終的に日英同盟が締結されたのは1902年だったものの、同様の軍事協力関係が生まれるだけの下地はそのずっと前から存在していたと主張する歴史家もいる。
 だが、実際は、日清戦争前の日英関係は決して通説通り友好的なものではなかった。その理由の一つとして、1870年代後半以降に清国が東アジアで最も影響力の高いリージョナルパワーとして台頭したことが挙げられる。その結果、日英両国はその東アジアの権益を保つためにはどうしても清国との関係を優先させざるを得ず、互いに対するプライオリティが下がってしまったのである。また、日英両国の互いに対する印象も、良好なものとはいいがたかった。当時の日本の政策決定担当者の中で、列強の中でも屈指の影響力を有していたイギリスが、自分達の国を植民地とすることは絶対にありえないと確信できる人物は多くなく、イギリスに対する不信感は条約改正交渉が停滞するにつれてさらに募っていった。
 もちろん、協力した方が互いの権益を保持・拡大するために便利であると日英両国の政策決定担当者達が判断したケースもあり、両国が協力できた案件が全くなかったわけではなかった。だがやはり、それぞれ異なる国益を有する国家同士が交流すれば、常に何らかの摩擦が生じるものであり、加えて両国が互いを東アジアにおける最重要アクターだと認識していなかった以上、その関係は親密なものにはなりえなかった。このような日英関係の現状は、1894年7月の日清戦争開戦直前まで続いたということを、申請者は博士論文において明らかにした。
 日清戦争によってそれまで東アジアに存在していた国際秩序は大きく変化することになるが、その中でどのように日英関係が影響されて変化していったのかという点が、現在の研究における重要なテーマである。昨年度は主に日清戦争中のイギリス側の史料を中心に調査したが、日清戦争後に東アジアの国際秩序がどのようなものになるか、という展望に関してはイギリス国内で様々な議論が交わされていた。清国の急速な弱体化がロシアの領土拡大を促しかねないと危惧する人もいたが、まだこの時点では列強による中国分割は必至だと思われてはおらず、戦後の東アジアがどのようなものになるかという点に関しては様々な可能性があった。そのように流動的な国際情勢において日英関係がどのように展開されていたのか、という点を丁寧に描き上げたい。

2018年5月 ※現職:東京大学先端科学技術センター協力研究員

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