成果報告
2016年度
幕末維新期における「志士」と「文士」の政治思想――歴史意識と政治思想の連関を中心に――
- 東京大学大学院法学政治学研究科 博士課程
- 島田 英明
幕末維新期、<西洋の衝撃>と既成秩序の瓦解への対応が迫られるなか、歴史書がひろく読まれた。勤王か佐幕か、開国か攘夷かを問わず、著述家や活動家たちは歴史書(たとえば頼山陽の『日本外史』など)を読み、時に慷慨に震え、あるいはそこに現今の指針を読み取った。しかしながら、従来の幕末政治思想史研究の多くは、主として西洋思想の受容や近代的思惟の形成にばかり注目し、こうした歴史意識の勃興を看過してきた。
本研究は、幕末維新期における「志士」と「文士」を対象に、危機の時代における政治思想と歴史意識の連関を明らかにしようとするものである。作業はおよそ次の二点を中心に進められた。
第一に、幕末維新期における「志士」たちの歴史意識がもつ特色を、先行世代の知識人たちとの比較から明らかにすることである。たとえば頼山陽の著作は当時ひろく読まれたが、一方で山陽のような「文士」に対する批判も根強かった。動乱が現前した時代に生きた志士たちは、歴史を描くことで政治的英雄に比肩しようとする試みを迂遠としりぞけ、政治的舞台に躍り出ようとしたのである。こうした<歴史を作る者>なのか、<歴史を描く者>なのか、といった自己認識の相違が、彼らの政治思想や実践の諸形態を規定しているのではないか。本研究ではかかる仮説のもと、吉田松陰や真木和泉を対象に検討を進めた。
また第二に、かくして文筆業が卑しまれた時代、それでも文士として行きようとした知識人たちの自己認識および事業の性質を、具体的には広瀬旭荘、森田節斎らを中心に検討した。たとえば森田節斎は、一方で激しく尊王攘夷を煽動しながら、決して自身はその場に身を投げ出すことなく、あくまで文筆――志士たちの事跡を歴史に書き留めること――をおのれの事業と規定し、幕末を生きた。彼の足跡が、いくぶんか姑息な保身を伴ったことは否み得ない。とはいえ、彼は危機の時代に「文士」としての役割を果たそうと務めたのであり、またそれは、政治的英雄として歴史に語り継がれたいという志士たちの願望とも響きあうものでもあったのではないか。本研究ではかかる仮説のもと、彼らに関する史料の調査や解読を試みた。
作業は、概ね期待通りに進展した。特筆すべき点として、次の三つを挙げることができる。
第一に、<歴史を作る者>としての志士たちの実存意識や政治思想を分析する上で、<自己の作品化>という視覚が有意義であることを明らかにできた。たとえば吉田松陰は、歴史上の英雄に自らをなぞらえ、同じように自身も後世から――歴史から――見られていることを常に意識し、独自の政治意識や倫理観を育んだ。おのれの生涯を後世に残すひとつの作品とみなす心性が、志の連鎖を重んじる尊攘思想やテロルも辞さない過激な政治的実践を内面から支えていたのである。尊王か佐幕か、攘夷か開国かとは大きく異なる観点から、彼の思想と実践を分析し得たのは大きな成果だった。
また第二に、そうした志士たちを歴史に書き留めることを目指した文士たちの事跡が、英雄・烈士を顕彰することで「士気」を振興しようとする為政者の施策とも方向性を同じくするものであり、招魂社・靖国神社へと至る思想史的文脈としても重要な意義をもつことを明らかにできた。従来、英霊祭祀問題は、その推進に大きな役割を果たした国学者・神道家らを軸に分析が進んでおり、漢文脈における検討は希薄だった。本研究、とりわけ森田節斎の分析は、こうした研究史の欠を補うのみならず、明治国家の精神史的意義を考える上でも重要な成果だといえよう。
更に第三に、本助成のもと、以上の検討の成果を書籍化することができた(『歴史と永遠―江戸後期の思想水脈』岩波書店、二〇一八年三月)。これが最も大きな成果かも知れない。
なお今後の研究として、次の二つを予定している。
まず、本研究成果をふまえて、野口武彦『江戸の歴史家』(筑摩書房、一九七九年)以来ながき停滞に沈んでいる徳川時代の歴史叙述研究を前に進めたい。具体的には、頼山陽を通して新井白石や懐徳堂の歴史叙述を、幕末思想史への影響も考慮に入れながら水戸学や国学における歴史思想を、そしてこれら江戸期の歴史叙述と近代歴史学との関連を、検討したい。
また加えて、徳川後期に確立された「文士」というアイデンティティが、幕末という政治化の時代における否定的表象を経て、いかに近代日本の知識人に至るのかという「知識人」のアイデンティティ研究にも従事したい。たとえば坂本多加雄『知識人』(中央公論社、一九九六年)が<「文士」から「知識人」へ>という枠組で扱う山路愛山と北村透谷の論争も、頼山陽以来の「文士」意識や志士たちの「英雄」願望といった観点を導入することで、新たな像が描けるのではないか。福沢諭吉や内村鑑三、二葉亭四迷や国木田独歩なども同様である。
2018年5月 ※現職:日本学術振興会特別研究員PD(首都大学東京)