成果報告
2016年度
張居正『孟子』注解と西欧『孟子』受容史に関する研究 ―フランス革命への影響を中心に―
- 筑波大学大学院人文社会科学研究科 一貫制博士課程
- 佐藤 麻衣
前年度に引き続き、張居正『孟子』解釈に見られる彼の思想を見据えた上で、ヨーロッパにおけるノエル、プリュケ、スタニスラス・ジュリアン等による『孟子』受容史の様相を考察することを目標とした。
すでに拙稿において、プリュケ『孟子』訳文における意図的な「人名・数字の修正」と、ジュリアン『孟子』訳における「人名・地名の修正」の存在を指摘してきた。これらの類似性を把握することは、プリュケ『孟子』受容とその特徴が、フランス革命に流入したことを探るための一つの手掛かりとなり得ると思われる。
たとえば、『孟子』万章上におけるジュリアンの修正を見ると、プリュケの修正手法との類似点が確認できる。
この章の概要は、禹に至って徳が衰え、王位を賢人にではなく実子に伝えるようになってしまったのか、ということを万章が孟子に問い、孟子がそれを否定して、王位は天命によるものであることを説明する、という内容である。
この章においてジュリアンは、禅譲が維持された時代に、天子の位を譲り受けた相手が王の臣下であったことに非常に注目するという傾向があった。そうした姿勢は終始その注釈に表れている。ジュリアンによる禅譲への期待は、ヨーロッパで常識であった無条件な穏健継承に疑義をもっていた可能性を含んでいる。このように、ジュリアンの注には、特定の時代思潮の内にあった彼自身による『孟子』受容を理解できる特徴が多く含まれていると思われる。
また、ジュリアンの修正箇所が確認できる『孟子』原文「匹夫而有天下者、德必若舜禹、而又有天子薦之者。故仲尼不有天下」(『孟子』万章上)に対応する原文訳には、「私人としての人間privatus-homoが帝国を保有する場合、彼は美徳virtusにおいて堯Yaoと舜Chunを再現し〈模倣し〉referreなければならず、さらに、任命するのは帝王〔天子〕imperatorであるということ〔が必要である〕。それ故に、孔子Confuciusは帝国を保有しなかったのである」(ジュリアン『孟子』訳下巻、八十五頁、原文訳)とある。
注では、「德必若舜禹、而又有天子薦之者」について、「堯は舜を任命したように、舜は禹を任命したように」(同上、八十五頁、注)と説く。ジュリアンは『孟子』原文訳において、「舜・禹」を「堯・舜」に修正し、さらにこの注においても「堯・舜」に修正することで、原文訳と注を適合させており、延いてはこうした原理が中国史上最も古代に属すると強調しているかに思われる。
そして、「故仲尼不有天下」について、「その結果、孔子Confuciusは、美徳においては帝王堯Yaoと舜Chunに劣らなかったとしても……」(同上、八十五頁、注)と説く。要するに、「堯・舜」と「孔子」をつなげることが、ここでの修正におけるジュリアンの目的なのである。理想的古代聖賢と「孔子」をつなげる手法は、すでにプリュケ『中華帝国経典』「孟子」において二箇所確認できる。 プリュケは、その「文・武の置換」によって、「武王」と「孔子」を並称することで、「武王」の位置づけの説得力と信憑性を増し、批判する余地の無い有徳者であることを論証しようとしていた。ここでジュリアンの修正を見ると、理想化したい人物は「堯・舜」であり、王位を賢人である臣下に付託した、禅譲の体現者である。彼らと「孔子」を直結させることは、すなわち「禅譲」の説得力と正当性を高めようとする強い意図が含まれていると思われる。さらに『直解』には、「所以天縦大聖如仲尼者、其徳雖無愧於舜禹、然而上無堯舜之薦、則亦徒厄於下位、老於春秋而已。此仲尼所以不有天下也」(『孟子直解』万章上)とある。聖人の資格を有する至聖「孔子」でさえも、「天子」すなわち「堯・舜」の推薦が必要であったと明示する張居正『孟子』解釈は、ここでのジュリアンの修正に影響を与えた可能性がある。
続いて、ジュリアンの修正が確認できる「繼世以有天下、天之所廢、必若桀紂者也。故益伊尹周公、不有天下」(『孟子』万章上)に対応する『孟子』原文訳には、「正当な継承権によって帝国を保有しながらも、天が見限る君主、すなわち王位〈王権〉soliumを剥奪されるような人は、桀Kieと紂Tcheouに比せられる必要がある。それゆえに伊尹I yunと周公Tcheou koungは帝国を保有しなかったのである」(ジュリアン『孟子』訳下巻、八十五頁、原文訳)とある。
注では、「故益伊尹周公、不有天下」について、「禹Iuの家系、商Chang〔王朝〕と周Tcheouの継承者である息子たちは、啓Khi、太甲Thaï-kia、成湯Tchhing-thangのように、一様に英知sapientiaを備えていた。それ故に、伊尹I-yunと周公Tcheou-koungは、堯Yaoと舜Chunの美徳に匹敵したにせよ、天から帝王に任命されていたにもかかわらず、終生、単に大臣であるにすぎなかった」(同上、八十五~八十六頁、注)と説く。ここでもジュリアンによる先の修正と同様の手法が確認できる。ジュリアンは、『孟子』原文訳において、「益・伊尹・周公」を「伊尹・周公」に修正し、さらにこの注においても「伊尹・周公」に修正することで、原文訳と注を適合させているのである。
ではなぜ、ジュリアンはここで「益」を除く必要があったのか。類似した手法は、先のプリュケ『中華帝国経典』「論語」においても見受けられた。「文・武の置換」によって生じた背景の錯誤を調節するために、敢えて人物名を表記しない、という傾向である。
ここで『直解』を見ると、「観仲尼不有天下、則体徳受命、固有不能盡必之於天者、而益之不有天下、又何疑哉」(『孟子直解』万章上)とある。「天縦大聖如仲尼者」(『孟子直解』万章上)であっても、天子の推薦が得られず天下を保有できないのだから、「益」においては疑問の余地がないのである。また「夫以伊尹周公之聖而不有天下、其何疑於益」(『孟子直解』万章上)とあり、張注では「益」が常に引き合いに出されている。ともすれば、このような張居正『孟子』解釈が、ジュリアンによる「益」を除く修正につながる一要因となった可能性も考えられる。
以上、ジュリアンによる修正と思われる箇所は他にも存在するが、ジュリアンの場合、プリュケのように同一名詞を置換する傾向ではないため、単純にケアレスミスか誤植の可能性もあるだろう。ただ、プリュケに見られた「文・武の置換」の如き意図的な訳出と、ジュリアンによる修正作業とが無関係でないとすれば、フランス革命前・後を通じて、連続する『孟子』の遠隔的影響がそこにあると思われるのである。したがって、今後は、豊富な資料のもと、これらの類似性を実証的に証明していく必要がある。
他方、研究の結果、『中華帝国経典』「儒教大観」において、「奢侈」と「革命」は密接に関係していたことがわかってきた。『孟子』受容によって、「性善」・「民本」・「王道」を含め、儒教の徳治主義に依拠する限り「革命」を是認するプリュケの主張が、奢侈論争に乗ってフランス革命に流入した可能性が高いことから、この点を併せて究明していくことも今後の目標としたい。
2018年5月