成果報告
2015年度
日本出土品との比較研究にむけた10〜13世紀中国国産ガラス容器の調査
- 東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程
- 林 佳美
研究動機・背景
現在でも身近に存在するガラスは人工的な素材のなかでも長い歴史をもつ素材である。とくに中国・韓国・日本の東アジアでは、ガラスに呪術的な価値が見出され、独自の発展を遂げた。東アジアのガラスの魅力とは、単に素材・造形上の美しさのみならず、それを通じて東アジアの技術史や思想史の一端をうかがい知ることができる点にある。
本研究テーマ設定背景には、近年の平安時代後期に位置づけられるガラス製品の出土数の増加と、それに対する美術史・考古学・科学各面の研究の進展がある。近年の研究成果をふまえるならば、10~13世紀は日本が北宋に源流をもつカリ鉛ガラスの生産技術を受容し、国産化に至るまでの一連の発展過程として理解でき、ガラス工芸における古代から中世への転換期として評価できる。しかし、この日本国内の発展過程を同時期の中国で展開した諸王朝(北宋・南宋・遼・金)と関連づけて考察した研究は未だなく、そもそも、これらの王朝のガラス製品や生産技術に関する研究自体が乏しいのが現状である。
研究目的・意義
本研究の目的は、上記の現状を打開し、10~13世紀の日本におけるカリ鉛ガラスの発展過程を東アジア交流史の視野から捉えるための基礎を構築することである。そのため、①新出資料を含む北宋・南宋・遼・金代ガラス製品のデータベースを作成し、②時期・地域的変遷を把握するとともに、③実見調査を通じて製作技法の比較に必要不可欠な細部形態を把握した。当該時期の日本へのカリ鉛ガラス製品の流入や生産技術の導入といった問題は中国との関わりなしに論じることはできず、本研究の意義は、国際的かつ実践的な研究手法により、これら諸問題を考察していくうえでの土台を構築した点にある。
研究成果および得られた知見
- ①北宋・南宋・遼・金代ガラス製品のデータベース作成
北宋で24遺跡65件、南宋で15遺跡20件、遼で49遺跡80件、金で12遺跡14件が確認できた。全体としては、11世紀をピークとし、以後徐々に減少していく傾向が認められる。
- ②北宋・南宋・遼・金代ガラス製品の時期的・地域的変遷
中国国産品について容器類と装飾品類の分布をみると、北宋では容器類が多くを占める一方、遼・金・南宋では装飾品類が大部分を占めることが明らかとなった。このことから、容器類については、北宋の領域内で生産された製品が遼へと輸出された可能性が考えられ、また、北宋の技術を継承した南宋の領域内で生産された製品が金へと輸出された可能性が想定できる。なお、北宋代の製品の出土地の分布をみると、10世紀には河北省・河南省・浙江省に多い一方、11・12世紀にはこれらの地域に加え、山東省・江蘇省・安徽省などで出土するようになる。生産遺跡が発見されていない以上は推測の域をでないが、10世紀から11世紀にかけて北宋のガラス生産拠点が変化した可能性が想定できる。
- ③中国・日本出土資料の実見調査
浙江省安吉県霊芝塔天宮出土有蓋壺(北宋慶暦七年・1047年舎利奉安)、安徽省寿県報恩寺塔地宮出土瓢形瓶(同天聖九年・1031年銘石函内発見)、江蘇省連雲港市海清寺塔地宮出土瓢形瓶(同天聖四年・1026年銘銀棺内発見)、江蘇省鎮江市甘露寺鉄塔地宮出土球形容器(同元豊元年・1078年鉄塔完成)などの実見調査を実施した。なかでも浙江省安吉県霊芝塔天宮出土品は、「博多79次型」と称され、日本では12世紀後半を中心に多く認められる有蓋壺の時期的に最も早い資料として注目される。実見調査を通じ、同作の製作技法は日本出土品に想定されているそれに共通することが確認できた。このほか、福岡博多遺跡群出土品の実見調査も実施した。
今後の課題・見通し
本研究では、10~13世紀の中国出土品を集成・分類するとともに、製作技法を中心として日本出土品との比較を行なった。今後は、用途についても比較検討を進め、技術・思想の両面から10~13世紀の日本におけるカリ鉛ガラスの発展過程を考察していきたい。本研究成果は平成29年度提出予定の博士論文の一部として発表するほか、学術雑誌への投稿論文として発表する予定である。
2017年5月