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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2015年度

阮朝治下19世紀ベトナムにおける小額貨幣と経済発展

大阪大学文学研究科博士後期課程
多賀 良寛

研究の動機と意義
 前近代的のアジア世界には、小額貨幣として銭貨=ゼニを使用する空間が国境を超えて広がっており、そこには中国・日本・朝鮮・琉球といった東アジア諸国のほか、ベトナムやジャワなど東南アジア地域も含まれていた。これらの諸地域は、銭貨の流通や鋳造原料の移出入を通じて潜在的な流動性を共有し、互いの経済活動に影響を及ぼし合っていたのである。本研究は、1802年に史上初の南北統一王朝として成立した阮朝治下ベトナムにおける銭貨の供給・流通条件を解明し、近世ベトナム貨幣史の展開をアジア経済史の中へ位置付ける試みである。この課題に取り組むにあたり、本研究では現地の公文書館に所蔵されている新史料「阮朝硃本」を開拓することで、世界的にもユニークな研究成果を追究している。

研究成果と新たな知見
 本研究の成果とそれによって得られた新知見として、以下の三点が挙げられる。一点目は、阮朝治下ベトナムにおける鋳銭原料調達システムの具体像と、その長期的な変化の解明である。阮朝は王朝の公定銭貨として銅銭(真鍮貨)と亜鉛銭の二種類を発行しており、それぞれの鋳造には大量の銅と亜鉛が必要であった。鋳銭原料を確保するため、阮朝は国内鉱山の開発を推進するともに、中国の雲南省から銅・亜鉛を輸入した。雲南からの原料輸入に大きな役割を果たしたのは、ハノイを拠点に活動する広東・福建系の華人商人たちであり、彼らは阮朝から資本を前借りして原料の買い付けを行った。また阮朝は内国関税の徴税を請け負った華人商人に対し、しばしば現金に代えて銅や亜鉛による請負額の納入を求めている。19世紀前半の鋳銭原料調達においては、紅河を中心とする内陸河川での輸送ルートが重要な位置を占めていた。ところが19世紀後半になると中国人武装勢力の伸長によって北部ベトナムの内陸河川交通が麻痺し、従来の鋳銭原料調達ルートが機能不全に陥る。そこで新たに台頭してきたのが広東や香港を経由する海上ルートでの鋳銭原料調達であり、「洋銅」「洋鉛」と呼ばれる一群の銅・亜鉛が華人商人によって海路で輸入された。以上の知見は、19世紀ベトナムの小額貨幣供給が、華人商人の活動や国外からの銅・亜鉛輸入を通じアジアの国際経済と密接にリンクしていた事実を示すものである。
 二点目の研究成果は、阮朝の鋳銭体制の再構築に関わる。現代世界に暮らす私たちは、国家が独占的に貨幣鋳造を行うシステムに慣れ親しんでいる。19世紀のベトナムにも国家の造幣権を至高のものとする観念は存在していたが、その実態は遥かに複雑なものであった。ベトナムでは、18世紀より華人による鋳銭事業の請負が広く行われていた。19世紀に成立した阮朝は当初ハノイに鋳銭局を設けたが、そこでは華人を含む民間人が、自己資本によって鋳銭を行うことが出来た。こうした鋳銭システムは1820年代になって大きく変化し始める。鋳銭事業から華人が姿を消してゆき、鋳銭局での鋳銭は国家によって雇用された職人たちによって担われるようになった。またこの時期には鋳銭体制の集権化と並行して、国家の貨幣高権を強調する言説が前景化する。その後19世紀中盤になると、阮朝の鋳銭体制は再び分権的な方向へ回帰し、華人による鋳銭も積極的に奨励されるようになった。こうした19世紀ベトナムにおける鋳銭体制の変容は、貨幣鋳造と国家権力の関係を考える上で重要な意味を持つと思われる。
 最後に三点目の研究成果として、銭貨流通の多元性と地域性をめぐる新たな理解がある。ベトナムの銭貨鋳造は長らく銅銭が中心であったが、18世紀には中南部ベトナムで亜鉛銭の鋳造が始まり、阮朝は銅銭と亜鉛銭を併存させる通貨体制を採用した。阮朝期における銅銭と亜鉛銭の関係を考える際に重要なのは、両者の違いが単に額面のみならず機能の上にも及んでいたことである。阮朝は亜鉛銭を流通機能に特化した銭貨として鋳造する一方、銅銭の鋳造においては国家主権を示すシンボルとしての機能を重視した。また劣化の早い亜鉛銭と異なり、銅銭は財政運営における長期的な資産保蔵の手段として機能した。次に流通範囲についてみると、阮朝は首都圏である中部地域において銅銭と亜鉛銭の並行通用に成功したものの、北部地域では銅銭流通が停滞し、19世紀後半には亜鉛銭のみが流通する状況となった。北部で銅銭の流通が停滞した要因としては、複雑な銅銭の価値体系や銅銭供給の絶対的不足、行政権力の浸透度の地域差といった点が考えられる。  
 

今後の課題と見通し
 本研究では漢文史料をもとに19世紀ベトナムにおける銭貨の供給・流通について論じた。ただ19世紀後半以降のベトナムの貨幣状況を考察するためには、漢文史料とフランス語史料の対照が不可欠となる。今後は阮朝硃本とともにフランス語史料の開拓をすすめ、19世紀後半の貨幣状況をより立体的に再構成してゆきたい。   

 

 ※日本学術振興会特別研究員PD(慶應義塾大学言語文化研究所)

 

2017年4月

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