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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2015年度

「幸せな未来」のデザイン
― 1930年代のアメリカとソ連におけるプロパガンダ

東京大学文学部助教
亀田 真澄

研究の動機・目的
 「人はなにを幸せと感じるか」という問いは、人間存在にかかわる根源的なテーマであり、これまで哲学、政治学、経済学、文化人類学、宗教学など様々な分野で議論されてきた。しかし、現代の文化産業および国家宣伝においてモデルとされる「幸せなライフスタイル」が、1930年代に確立したということは、これまで見逃されてきた。特に20世紀以降、「幸せな生活」をめぐる問いには、「モデルとなる生活がいかに宣伝されてきたか」という要素が深くかかわっているにもかかわらず、1930年代のアメリカとソ連でほぼ同時期に行われていた、「幸せな生活」のイメージを強調する国家主導のキャンペーンについて比較的に検討する研究は、まだ手付かずである。それでいて本テーマは、現代社会の生き方そのものにかかわる大きなテーマであることに気づき、本研究を着想した。

研究の意義
 大戦間期のアメリカとソ連で、「幸せな未来」を強調するプロパガンダがほぼ同時期に行われていたということ自体、私見では、これまでの研究で取り上げられたことがまだなく、本研究のテーマ設定自体が独創的かつチャレンジングである。
 特に、(a)「幸せな未来」像を呈示する媒体・空間として、博覧会、映画、写真、ポスター、産業デザインなどを、ジャンルに捉われず分析対象とする点、(b)国際的な文化交流や、国境を越えた人の移動に着目し、「幸せな未来」プロパガンダの背景と理由を実証的に解明しようとする点、また(c)これらの分析によって、現代社会の焦眉の課題となっている、「意識の産業化」がいかに進んできたかという問題について、プロパガンダ研究の枠組みから考察しようとする視点が、本研究の特色である。    
 

研究で得られた知見
 アメリカでは1929年に起きた大恐慌によって失業者が街にあふれるという状況のなか、一攫千金や玉の輿を夢見させる物語にスポットライトがあたった。同時期、ソ連では飢饉と物資不足、そして大粛清の嵐が吹き荒れるなか、そのような現実からは目をそらさせ、共産主義の未来は明るいことを説得するために、アメリカから「幸せな生活」を象徴する物資、インフラ、そして、イメージを輸入した。
 ただし、プロパガンダ表象のみでなく、プロパガンダを支えていた国家事業についても着目した。プロパガンダが有効であるためには、真実を含んでいる必要がある。1930年代のソ連は、財政危機の時代には不釣合いなほどに、華美な生活環境を整備した。このことについては、「幸せな生活」というイメージが空虚な誇大広告にならないように、消費文化のショーケースを作り出したのだとも考えられる。(ソ連では「シャンパンは物質的豊かさと良い生活を示す重要な印である」という1936年のスターリンの言葉によって、ソ連産の発泡性ワイン「ソヴィエツコエ・シャンパン」の生産が急ピッチで進められたり、また最新鋭の機械をアメリカから輸入しながら、アイスクリームやチョコレート、フランクフルト・ソーセージなどが大量生産されたりと、これまでは手に入らなかった様々な嗜好品が人々の暮らしに入ってきた。ニューヨークとモスクワにおいて、華美な装飾をほどこした大規模な都市開発が行われたのも、この時期のことである。これらは、近い将来に待っているはずの幸せな生活を予感させるために必要な「参照点」として機能していたことがわかった。   
  

今後の展開
 ベンヤミンやホルクハイマー/アドルノに始まり、現代の文化産業論にも引き継がれているのが、共産主義圏の事情については、資本主義圏とは対立するものとして捉えるか、あるいは単に論の枠組みから除外するという方針である。このような論点が見逃してきたのは、第一次大戦以降から冷戦期に至るまで、ソ連とアメリカは、イデオロギー上は対立しつつも、文化的にはむしろ共依存関係にあったということである。ただし、ソ連がアメリカから輸入した「幸せな生活」の視覚表象は、多くの点において、そもそもソ連からアメリカが輸入したものでもあった。ソ連はアメリカ文化に触発された芸術家たちの「文化革命」によって、共産主義国家建設を試みたし、大恐慌期のアメリカはソ連文化を参照しながら、「アメリカン・ドリーム」の虚構を普及させた。またスターリン期のソ連は、アメリカン・ドリームをソ連にそっくり輸入することによって、粛清と飢饉の時代を乗り切ろうとしたが、これは現代に至るまで、世界各国の共産主義文化の基礎であり続けている。今後は、ソ連からアメリカへの影響についても精査しつつ、研究を進めていきたい。  

 

2017年5月

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