成果報告
2015年度
近代東トルキスタンのムスリム知識人の地理的世界認識と自然環境
- 東京大学大学院総合文化研究科博士課程
- 海野 典子
研究の動機・意義・目的
18世紀中葉に清朝の支配領域に組み込まれた、中華人民共和国の西北部に位置する新疆ウイグル自治区には、今日ウイグル人と呼ばれているテュルク(トルコ)系ムスリムが長く暮らしてきた。1930、40 年代には、中国からの「東トルキスタン」Sharqī Turkistān 独立を目指す運動により、二度独立政権が成立するものの、中華人民共和国などの侵攻により短期間で瓦解した。現在も、中国からの分離独立や中国統治の枠内での自治拡大を唱えるテュルク系住民と、それを厳しく取り締まる当局の衝突がたびたび報じられ、国際社会の耳目を集めている。そのためか、東トルキスタンの歴史に関する研究の多くがナショナリズムの問題を扱い、テュルク系ムスリムの世界観や地理認識についても、領土ナショナリズムを背景とする政治的文脈の中で語られる傾向が強い。
しかしながら、東トルキスタンで日々の生活を営む人々の地理的世界観は、政治的状況のみならず、周囲の自然環境にも少なからず影響を受けてきたはずである。そこで、本研究は、当該地域の主な住民であるテュルク系ムスリムの宗教的世界観や地理認識の変遷を、従来看過されがちであった環境的・社会的側面に注目して解明することを試みた。なお、ここで言う自然環境とは、羊・馬などの動物や植物、それらの生息基盤となる山・川・泉・沙漠、そしてそれらが織りなす生態系や景観を漠然と指す。
具体的には、多言語史料の精読によって、第一に、当時の東トルキスタン地域社会で大きな影響力を有していたテュルク系ムスリム知識人が、自らの居住する地域を世界のなかでどのように位置づけていたのかを調べた。特にオアシス都市や各地に点在するマザール(イスラームの聖者廟)に関する記述に注目し、彼らの地理認識や地域呼称の変遷を分析した。第二に、周囲の自然環境が彼らの地理的世界観に与えた影響を、ムスリム反乱や辛亥革命・ロシア革命などの政治的事件のインパクトと比較しながら、複眼的に検討した。
主に扱った史料は以下のとおりである;①東トルキスタンの主な住民であるテュルク系ムスリムの知識人が執筆した歴史書。20 世紀初頭に書かれたムッラー・ムーサー著『安寧史』Tārīkh-i amnīya や『ハミードの歴史』Tārīkh-i ḥamīdī、『タランチの歴史』Taranchi Tārīkhi など。②清朝や中華民国の官吏・学者などが著した、東トルキスタンの地理や自然環境に関する文献。『新疆回部志』『西域水道記』など。③当該地域を旅行したオスマン帝国や欧米の宣教師、外交官、探検家などによる報告書や旅行記。また、多様な視点を知るために、漢語を話すムスリム(現代の中華人民共和国における回族にほぼ相当)の著作も参照した。
研究成果と今後の展望
本研究によって19世紀から20世紀初頭という政治的混乱が続いた時期であっても、イスラームの聖者が訪れたと伝えられる泉が参詣地として信仰の対象になっていたこと、オアシス都市のカレーズ(地下水路)の管理人が地域社会で大きな役割を果たしていたことが明らかになった。これらの事例は、自然環境のなかでも、とりわけ河川や湖といった水環境が、テュルク系ムスリムの宗教的世界観や地理認識に大きな影響を及ぼしてきたことを示している。このように、水環境の宗教・文化・社会・政治・経済的重要性を指摘したことによって、従来政治史研究が中心であった東トルキスタン史研究に、環境史という新たな視点をもたらしたことは、東トルキスタン史研究のみならず、同様の地形・気候・生態系をもつ地域の研究にも役立つだろう。つまり、人間の地理認識が、政治的状況だけではなく自然環境との関係性の変化によっても構築されてきたという、当たり前のようでありながらも領土問題を抱える地域ではあまり論じられてこなかった事実を、改めて確認することができた。
ただし、自然環境に対する愛着や畏怖の念、その土地への強い帰属意識は、政治と全く無関係ではなく、むしろ領土や民族自決をめぐる政治問題に発展する可能性を秘めている。このことについては、今後より多くの史料を参照することで慎重に精査したい。さらに、今回は時間的・資料的・情勢的な制約があり、また、研究拠点が米国にあったこともあって、新疆への現地調査に出かけることができなかった。将来的には、当時のムスリム知識人が描いた新疆のオアシス都市を実際に訪れ、水環境をめぐるイスラーム聖者伝や水管理人の歴史的役割についての聞き取り調査を行うことによって、文献資料から得られた情報を立体的に把握したい。
※日本学術振興会特別研究員PD(中央大学文学部)
2017年5月