成果報告
2015年度
紙面から壁面へ―両大戦間期フランスにおける写真の展示・受容形態の変遷について
- ニューヨーク市立大学大学院センター美術史学科博士号取得候補者
- 礒谷 有亮
今日、写真は美術作品として扱われ美術館の壁面上で鑑賞されている。ところが1839年にフランスで写真が発明されて以降、その伝播と受容の中心を担ったのは写真集や雑誌等、印刷媒体の紙面であり、今日的な写真展の制度が確立したのはようやく1930年代後半になってからである。本研究はこれら二つの面、紙面と壁面の相互関係を、両大戦間期フランスにおける写真の美術制度への組み込みというコンテクストとの関連から検討する。戦間期は写真史における画期にあたり、前衛美術の各動向が写真の機械技術・複製メディアとしての特性を活用し、伝統的な美術の枠組を問い直したことは広く知られている。一方で、写真を独立した芸術ジャンルとして定義し、美術史および美術をとりまく制度の中に位置付けようとする動向も存在した。その傾向はとりわけフランスにおいて顕著に見られた。本研究ではこの動きの発展に伴い、写真受容の中心が紙面から壁面へと移ったという仮説を立て、一次資料の精査を通じて検証した。
中心に据えたのはフランスの活字鋳造業者、ドゥベルニー・エ・ペニョの美術監督を務めたシャルル・ペニョの活動である。ペニョは戦間期フランスにおける写真の振興を担った中心人物であり、その活動は写真集の出版、写真展の開催と、紙面と壁面の両方に関わっていた。その中でまず1930年から1939年まで年刊で継続した写真アルバム、『フォトグラフィ』を紙面側の事例として考察した。これは当時フランス最大規模の写真出版物であり、毎号100点を超える写真を掲載した。その流通はフランスに留まらず、欧米各国におよび、同時代写真の発展を国際的に紹介するメディアとして受容された。その内容の分析を通じ、このアルバムが言説形成、鑑賞態度の醸成の両面から写真の芸術としての振興を推進した出版物であったことが明らかになった。各号にはヴァルドマール・ジョルジュら当時を代表する批評家の巻頭論文が寄せられ、それらの多くは写真を各写真家の主体の発露を示す「作品」として位置付け、絵画や音楽と同等の、独立した芸術分野として定義した。また、所収された写真は見開きを基準に二枚一組で配置されることで、各作品のコンポジションや白黒のトーン等の形態的要素や主題の比較を読者の側に喚起し、写真を芸術作品として「鑑賞」する態度の醸成を促した。
こうした動きが1930年代を通じて発展するにつれ、新興のギャラリーや書店に併設された展示スペースでの写真展の数が増加した。しかし批評家や写真家の間では次第に公立の美術館での写真展開催を求める意見が高まる。この流れはペニョが企画し、ルーヴル宮の一翼に位置した装飾美術館で1936年に開催された、「国際現代写真展」に結実することになった。同展はフランスの公立美術館で大規模な写真展示が行われた初の事例となり、ここにおいて写真は公認の芸術としての位置を確立した。また同展は同時代写真家のみならず、ダゲールやナダールをはじめ写真黎明期の作品、19世紀のカメラなども展示し、写真史を概観するものだった。加えて装飾美術館所蔵の資料からペニョがこの企画を提案したのが1933年、すなわち写真発明者の一人、ニエプスの没後100年の年に当たることが明らかになった。これらの事実から、写真の美術化はその発明100周年を機とした写真の歴史化を求める動きに呼応していたという知見を得た。
ペニョが1932年より、『フォトグラフィ』刊行時に掲載写真の展覧会を開催していたことも資料調査から明らかになった。また、1936年の『フォトグラフィ』は「国際現代写真展」出展作品のカタログとしての機能を担った。ここから印刷媒体と展覧会は互いに排除し合う関係ではなく、相互補完的に写真の振興を担う装置として存在していたことが理解された。しかし前者の事例ではアルバムが先行し、それに付随する形で展覧会が開催されるというプロセスを踏んだのに対し、後者ではそれが逆転している。この点に着目すると、1930年代を通して芸術としての写真の位置が確立するにつれ、紙面と壁面に置かれる力点が徐々に前者から後者へと推移していったことを指摘できるだろう。
ここで検討した戦間期フランスにおける写真の美術としての振興に関する研究は世界的に見てもまだ端緒がついたばかりであり、いまだ研究の余地は大きく今後の進展が求められる。それによって前衛の動向と、メディアとしての写真の特性に重きをおいた従来の写真史の再検討を行うことが可能になるだろう。また、ペニョは同時代の写真界に多大な影響力を及ぼしたにもかかわらず、その活動についてはこれまでまとまった研究がなされていない。当時のフランス写真の状況をより明確に描き出すためにも、彼の活動についてはさらなる調査が必要であり、この点については現在執筆中の博士論文にて詳細に検討している。
2017年5月