成果報告
2015年度
NHKの「農事番組」の成立と行方:番組制作者と情報提供者の<関係性>から見る戦後メディア史
- 静岡文化芸術大学文化政策学部 准教授
- 舩戸 修一
本研究の目的は、かつてNHKで放送された「農事番組」とりわけ『明るい農村』の「村の記録」の閲覧分析を踏まえ、当時、東京(中央)で農事番組制作を担当していた「農事部」のディレクター、地方ローカル(周縁)で農事番組制作を担当していた「RFD(Radio Farm Director)」ならびにNHK側に情報を提供していた「RFD通信員」(後に「農林水産通信員」と改称)への聞き取りを通じて制作者側は農業・農村にどのような焦点を当てようとしたのか、逆に農村(通信員)側はメディア(テレビやラジオ)という外部からの視線による対象化を意識しつつ、自らの生活や地域社会をどのように提示しようとしたのかを明らかにすることである。
NHKの農事番組が始まったのは、1948年からラジオ第一放送で放送された『早起き鳥』が最初である。この番組は、農業技術、農政問題、農村の話題等を伝える農家や農村向けの番組であり、GHQ側に期待されていた「農村の民主化」とともに戦後農政の根本的方針である「農業の近代化(機械化・化学化)」を推し進める啓蒙的手段としても考えられていた。1952年からはラジオ第一放送で各地の農村での農民たちの取り組みや暮らしを伝える『ひるのいこい』も始まっている。さらに1953年2月からテレビ放送が開始された。NHKのテレビによる最初の農事番組は1957年1月から始まった『のびゆく農村』である。その後、番組改編を経て1963年4月から『明るい農村』が始まり、1964年からは毎週日曜日に農業・農村のドキュメンタリーであった『村の記録』が『明るい農村』の1コーナーとして放送されていく。こうして『明るい農村』は、1985年3月に終了するまで「村の記録」「村の風土記」「村を結ぶ」「農村新風土記」など、それぞれのテーマごとの農事番組が放送されるようになったのである。
そもそもNHKの農事番組は戦後の農業・農村の近代化を進める手段として位置づけられていたが、1970年代の「村の記録」を閲覧すると、その主要テーマは「出稼ぎ」「減反」「農業の近代化(機械化・化学化)」「開発」「食糧輸入と日本農業」「農業の活性化」などになり、農業・農村をめぐる社会問題を論じることによって戦後農政の矛盾を指摘するような番組に変容していく。そこでは、農家は高度経済成長の裏側で苦悩する、あるいは戦後農政や産業構造による「被害者」として描かれる。
ところが、1980年代以降、「村の記録」の焦点は、「生産の場」としての農村から「消費の場」としての「食卓」に移っていく。高度経済成長のなかで農事番組の視聴者が都市に住む「消費者」となることによって、農業・農村は後景に退き、消費者の関心のある食料や食品に重きが置かれ、「食」の情報番組としての性格を強めていったのである。なお、『明るい農村』の終了後の後継番組が『産地発!たべもの一直線』、『たべもの新世紀』、『月刊やさい通信』『うまいッ!』など、「食」に関する情報番組であることを付記しておきたい。
一方、NHKの農事番組は、主に中央(東京)の農業・農村を専門とする「農事部」の制作者、および各都道府県の地方局に農業・農村を専門とするディレクターとして配置された「RFD」、そしてRFDが農村に関する情報を収集する地域ネットワークとして任命された「RFD通信員(以下、通信員)」たちによって支えられていた。通信員は、RFDが農村に関する情報を収集するための地域ネットワークが構築できるよう、農業改良普及員・生活改良普及員や農協職員などを中心に、各都道府県からあわせて約600人が任命されたという。通信員は、RFDに対して各地の農業・農家の状況や技術改良・生活改善の取り組みなどについて、千字程度の原稿を月に1~2本程度執筆して情報を提供することが求められていた。このような情報がラジオ・テレビにおける農事番組の素材となった。
1970年代の「村の記録」が戦後農政への批判的な内容を取り扱うようになる一方、NHKに対して情報提供する通信員のほとんどは都道府県の普及員や農協職員であるため、農業・農村問題を取りあげにくい現実があった。そのため、こうした問題を克服する新たな取り組みに焦点を当てる傾向が強かった。農業・農村のネガティブな側面を放送することがさらなる農業人口の減少を招くという恐れもあり、また県によっては減反問題や嫁不足問題については、都道府県の普及所の上司から通信員に対して慎重な対応が求められていた。
とはいえ、米の増産や農家グループの活動を支援してきた通信員たちが、こうした農村の状況に批判的な問題意識を持っていなかったわけではない。時として通信員たちは、それは農村の厳しい状況を訴えようとしている懇意なRFDや農事部員たちに対し、原稿以外のインフォーマルな情報提供を積極的に行い、それが番組へと結実していくこともあった。すなわち減反への反対運動や小規模農家を切り捨てる酪農政策への批判など、元来はそれを公に表明できない立場でありながら、インフォーマルな形で農業関係者の紹介や現場の取材への同行などを行っていたのである。このように表向きは農政に従順でなければならない立場の普及員でありつつも、それに抗する農民たちの思いを汲み上げて電波に乗せていくという役割を果たしていたのである。
このようにジャーナリスティックな切り口の農事番組は、通信員の広報的な役割を各地のRFDや農事部所属のディレクターたちの、社会問題を描くドキュメンタリーを描きたいという問題意識に合わせて利用した面も否めない。しかし、通信員たちは、単にNHKによって情報提供者として一方的に利用されていただけではない。むしろ自分自身では伝えられない農村の困難や農政の矛盾をインフォーマルな形でRFDに伝え、“ネタ”として提供することによって、農民の立場からそうした状況を社会的に訴え、問題化していくことができたのである。
以上のように、NHK農事番組は、単にNHKの農事部やRFDだけでなく、農村社会のアクター同士が情報提供やそのコントロールを通して相互に関わり合い、また利用し合うといったような“せめぎ合い”のなかで制作されてきたのである。
2016年9月