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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2015年度

日本都市の伝統的な基層の解明に向けた「闇市学」の創成

東京大学大学院工学系研究科 助教
初田 香成

1.研究目的

本研究は第二次大戦直後に現われた闇市を、災害を契機に潜在していた都市の基層が発現した都市のある種の普遍的活動と位置づけ、第一に全国の実態を網羅的に把握し、第二に下記の学際的論点の解明により日本都市の特質を再発掘・再構成することで新たな学問領域を開拓しようとするものである。ここでの都市の基層とは特に高度成長以降表層から失われたものの通奏低音として都市を規定してきた伝統的要素を指す。

戦前に遡る闇市の伝統的な基盤:①伝統的に露店市で営業者を差配してきたテキ屋など闇市の組織主体、②在日外国人・引揚者といった闇市の営業者、③小売市場など市場型の建築や施設の闇市への連続性、④路上や水上などの公共空間や寺社境内といった営業地が提供される際の論理

闇市がその後の都市に与えた影響:⑤営業者の社会階層・社会移動、⑥焼肉・飲み屋など闇市由来の食文化、⑦電気・繊維問屋街など闇市由来の商業地形成、⑧闇市横丁の現代的再生、⑨GHQの影響

2.研究の成果および進捗状況

2015年度は上述の第一の目的に対応して前年度に引き続き共同研究として全国の自治体史における闇市に関する記述を総覧し分析する作業を行い、第二の目的に対応して研究分担者が個別に論点を深め、最終的に研究成果報告会「都市としての闇市 闇市研究のフロンティア」(2016/9/25予定)で報告を行う。

第一の作業として戦前の市制施行都市210都市のうち、1940年時点で人口約5万人以上の都市100都市(4.5万人以上の鳥取と米子を加えた)を選び、県史と市史を総覧した。作業結果は都市および出典ごとに闇市の記述の有無、名称、戦災の有無、立地、組織主体、業態などを整理した。そして、空間の変容過程を可能な限り三段階に分けて、ピークやその後の消長についても都市ごとに整理し、最後に行政の関与について露店市場およびマーケットの展開過程と、GHQ指令や露店営業に関する規則、都市整備等の取締・撤去過程について整理を行った。調査の結果、自治体史の記述にもとづくという条件つきながら、100都市のうち少なくとも99都市で闇市の存在を確認できた(昨年度77都市と報告したが、その後の補足調査などにより増加した)。地方別にも満遍なく分布し、調査対象のほぼ全ての都市に闇市は存在したといっても過言ではない。さらに名称や都市内立地、組織主体について全国規模で多様性を明らかにし、全国の闇市の空間形態を三段階に分けて時系列に整理した。これまで大都市の著名な事例が中心に扱われがちだったが、それにとどまらない多様な事例を跡づけられたと考えている。第二にGHQや行政の闇市への多様な関与を明らかにした。これは取締りだけでなく自ら設置するなど言わば誕生から全ての過程に関わるもので、その種類や段階も様々であった。なお本内容は日本建築学会計画系論文集に投稿予定である。

第二の作業として、アメリカ公文書館所蔵のGHQ文書の読解や新宿・思い出横丁や闇市を組織したテキヤ、下北沢の闇市跡地の実測、在日外国人へのレイシズムの問題、近年の闇市跡地のリノベーションなどについて研究を進めた。また加藤政洋氏(地理学・立命館大学)をお招きし、意見交換を行った。

研究成果報告会では、青井哲人氏(建築史・明治大学)、小林信也氏(日本史・東京都公文書館)、吉見俊哉氏(社会学・東京大学)をコメンテーターにお迎えし、シンポジウム形式で以上の研究の成果を広く一般の方に向けて報告する。

3.今後の課題

今後は本研究で明らかになった特徴的な事例の詳細な研究も進めていく予定である。また5万人未満の都市に作業を拡大することも挙げられる。ここでは闇市が成立しなかった都市を見つけることで、逆に闇市の成立条件、その臨界点を明らかにできるのではないかと考えている。闇市が成立するにはある程度の人口や後背地の存在等が必要である。例えば闇市が確認できなかった大津や早期に消滅した沼津の背景には産物の豊かさもあると考えられる。

2016年9月


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