成果報告
2015年度
東アジアにおける大衆的図像の視覚文化論― 広告図像に見る幸福のかたち
- 同志社大学文学部 教授
- 岸 文和
(1)研究の進捗状況
大正時代から昭和初期にかけて、都市化の進行と教育の普及を背景にして、大衆文化が誕生した。新中間層と呼ばれるサラリーマンや労働者、職業婦人などを中心に構成された社会集団の文化がそれである。その文化は、文化産業としてのマスメディアによって仲介される消費を特徴とするが、広告はその文化を象徴するメディアである。というのも、新聞・雑誌の広告やポスターの少なからざるものは、特定の商品/サービス/行動によってもたらされる《幸福》を目に見える形として提示することによって、受容者に、その商品を購入したり、サービスを利用したり、行動を遂行したりするように促すからである。
本研究の目的は、この時期に、東アジア(日本/中国/満州/台湾/朝鮮)において流通していた下記の5種類の日本製ブランドの広告テクスト/イメージに焦点を合わせ、視覚文化論の枠組みにおいて相互に比較することによって、次のことを明らかにすることにある。すなわち、それぞれの日本企業は、それぞれの文化圏の大衆に対して、どのような手続き/手法(レトリック)を採用し、どのような《幸福》を提案/約束することによって、商品を購入するように促したかを調査し、さらに、なぜ、そのような広告戦略を採用したのかについて考察を試みることである。
- ①津村順天堂:中将湯(婦人薬/浴剤/バスクリン)[1893年発売/1904年海外販売]
- ②森下博薬房/森下仁丹:仁丹[1905年発売/1907年海外販売]
- ③中山太陽堂:クラブ化粧品(洗粉/練歯磨/石鹸)[1906年発売/1924年海外販売]
- ④壽屋洋酒店:赤玉ポートワイン[1907年発売/1919年海外販売]
- ⑤鈴木製薬所/商店:味の素[1909年発売/1910年海外販売]
これまでの議論によって、主題化されるべき主要な論点は、次の7点であることが明らかになった。すなわち、第1に、企業は、それぞれの文化圏に向けて広告を制作するプロセスにおいて、どのような制度上の手続きをとったか(海外支店での制作、現地人の採用)。第2に、企業は、消費を促す図像を現地化(localize)しているか否か、現地化している場合は、「文案の変更」(テクストの置換[翻訳]/追加/削除)か「図案の変更」(イメージの更新)か。第3に、企業は、消費すべき商品の「すばらしさ」を伝達するためにどのようなレトリックを選択しているか。第4に、企業は、商品を消費することによって、どのような幸福がもたらされると約束しているか(健康/衛生/美容/団欒/社交/教養/愛国/文化生活)。第5に、企業は、消費の実質的な主体ともみなされる女性をどのように表象しているか(芸妓/令嬢/良妻賢母/映画女優/主婦/職業婦人/モダンガール)。第6に、企業は、消費の快楽をアピールするためにどのような様式の図案を選択しているか(伝統的/モダン[アールヌーボー/アールデコ/構成主義]、絵画的/即物的)。第7に、企業は、それぞれの文化圏において、どのような読者を対象とする、どのような性格をもつメディアを選択して広告を掲載しているか(日本人/現地人/富裕層/知識人/労働者)。
(2)研究で得られた知見
2015年度に3回の国際シンポジウムを開催することによって得られた知見は、多岐にわたる。個々の知見を具体的に説明することはできないが、それぞれの企業の広告が、それぞれの地域に固有の文化的背景を考慮しながら、福[多子]/禄「出世」/寿[長寿]という近世的な幸福とは異なる、いわゆる「文化生活」に集約される近代的な生活様式を、理想的な状態として表象していることが改めて確認された。
(3)今後の課題
国際シンポジウムでの知見をまとめた論文集を、大正イマジュリィ学会と協力して刊行する予定である。
2016年9月