成果報告
2015年度
21世紀の「他者」理解:文化的集団淘汰仮説の検証を通じた新たな思想の構築
- 名古屋大学大学院環境学研究科 教授
- 大平 英樹
1.研究の目的
近年,文化,宗教,人種などをめぐる摩擦が世界中で生じ,その結果として紛争やテロが多発している.本研究では,進化人類学において近年展開されている文化的集団淘汰仮説を基盤とし,現代社会におけるヒトの協力と葛藤の諸問題を学際的に検討し,実証的に妥当性を検証できるような仮説群を構築することを目的とした.さらに,そうした研究を通じて,新たな人間観を提唱し,現実社会における葛藤問題の解決のための示唆を提供することを目指した.
2.研究の方法と成果
(1)研究の方法
心理学,人類学,経済学,現代思想,のそれぞれの観点から,文化的集団淘汰仮説を,文献研究に基づいて批判的に検討し,それを現代社会に適用して文化,宗教,人種などにおける外集団に所属する「他者」の理解と協力可能性を考究するための仮説群を構築した.それらの仮説を,研究代表者がこれまで行ってきた協力と公正に関する神経画像研究の結果,また新たに行ったインターネットを用いた調査研究の結果を基盤として吟味した.
(2)ヒトの協力に関する進化心理学的知見
進化人類学および進化心理学では,ヒトは例外的に他者と協力を行う種であるが,一方で自己が所属する内集団と外集団を峻別し,集団間では闘争する種でもあることが,観察研究,実験研究,数理モデルによる研究で一貫して示されている.これらの知見から,従来の個体レベルの淘汰を前提とする進化的観点からは,外集団に所属する「他者」との融和は困難であることが示唆された.
(3)文化的集団淘汰仮説に基づく他者理解と協力に関する知見
一方,近年優勢になってきた文化的集団淘汰仮説では,人類が現在の大規模協力社会を手に入れることができたのは,集団間の闘争と,その結果としての他集団を文化的に吸収する過程によると主張されている.これをさらに詳細に検討すると,大規模な協力が成立する条件として,1.集団間の境界の存在,2.集団内における規範逸脱に対する効率的な罰の存在,3.集団内の分散を減少させる諸制度(資源分配など)の存在,4.集団に利益をもたらす行動・制度・価値観が、集団の境界を超えて文化的に拡散していく過程の存在,5.緩やかな集団間競争,が考えられることが明らかになった.もし,これらの諸条件に一般性があるとすれば,現代社会における「他者」の問題は,これらの条件への介入により改善できる可能性があると考えられる.
(4)インターネットによる調査研究
20代-40代の日本人男女計400名を対象とし,日本における上記諸条件の現状の認識,さらに各種の性格特性や社会経済的地位などを尋ねる調査を,インターネットを介して実施した.その結果,我が国における社会格差の拡大を認識する個人や,近隣諸国との摩擦を深刻視する個人ほど,他文化や外国人に対して排他的な態度を示すなど,上記仮説と整合する傾向が見られた.
3.今後の課題
上記インターネット調査の知見はあくまで相関的なものであり,今後,仮説の因果的妥当性について,より精緻に検討がなされるべきである.また,実際に現実社会において生じている諸問題について,精緻なケース・スタディを行って仮説の妥当性の吟味が為されるべきである.
2016年9月