サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > 研究助成 > 助成先・報告一覧 > イスラーム債権法の国際的影響に関する比較法的考察

研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2015年度

イスラーム債権法の国際的影響に関する比較法的考察

東北大学大学院国際文化研究科 准教授
大河原 知樹

研究の主目的

本研究は、オスマン帝国が19世紀半ばに制定した民法典(メジェッレ。以下M法典)の国際的影響を分析することを目的とする。具体的には、M法典以来中東において制定されてきた債権法と旧日本民法、現行民法ならびに西洋法の債権法とを比較する。従来の研究では、中東諸国の現代法やイスラーム金融については、イスラーム法または近代法いずれかの影響のみが検討され、比較法的ないし学際的視点を欠いてきた。これに対し、本研究は、イスラーム法を含む伝統法および主として植民地期に移入された西洋法に基づく、「中東法」というモデルによって、M法典およびその影響下の債権法の特質を比較法的に明らかにしようとするものである。

研究グループの構成・研究経過

本研究グループは、イスラーム法を専門とする者(1名)、イスラーム法廷および地域研究(アラブ、トルコ、中央アジア、ロシア、イラン、マレーシア)を専門とする者(5名)、日本民法を専門とする者(1名)、比較法を専門とする者(1名)に加え、現役弁護士(3名。すべてアラビスト)が中核メンバーとなり、ほかにも数名の研究者が参加する研究体制を整えた。

研究2年目においては2回の研究会を開催し、M法典のうち、第4編(債務引受け)および第5編(質)の試訳を作成し、上記メンバーが中心となって、それぞれの専門の立場からコメントを加え、討論を実施する形式で研究を進めた。研究会の前後には、メールを回覧し、問題点について討論した。前年と同様、検討済のM法典条文(序編、第1~3編)の訳語およびM法典注釈・各種言語による訳文、現代中東法の条文などと比較した。期間内に第4編全ておよび第5編の大部分の検討を終えた。

期間内において、M法典の各国語訳(オスマン帝国で作成されたブルガリア語訳、ロシア帝政下の中央アジアで作成されたロシア語訳およびパキスタンで作成されたウルドゥー語訳)を入手した。また、レバノンのベイルートに出張し、著名な中東法研究者シブリー・マッラート博士と共同研究の打ち合わせを行った。京都で開催されたロシア帝政下中央アジア古文書セミナー、日本中東学会に参加して、研究会に関連する学術情報を収集した。

本研究で得られた知見

本研究では、債務引受けと質を中心として、M法典と中東諸国の現行民法、旧日本民法、現行民法ならびに西洋法との共通点および相違点を比較検討した。特に、M法典第4編(債務引受け)および第5編(質)について、アラブ諸国では比較的に新しいUAE民法典(1985年制定)においてこれに相当する条文(債務引受け:第1106-1132条、質:第1448-1503条)と参照した結果、定義づけや用語・表現に共通点(たとえばM法典678~679条、UAE民法典1108条の制限付債務引受けと無限定の債務引受け)を有する一方、相違点(たとえば、M法典では債務引受け契約は双方の同意を必要としないのに対し、UAE民法では双方の同意が要件であると規定している等)が相当数確認された。ただし、UAE民法典は「マーリク派およびハンバル派の考えに従う」(第1条)と規定しているにも関わらず、売買契約の基本定義(第209-218条)はこれらいずれの法学派とも合わず、ハナフィー派にもとづいており、事実上M法典の定義のほぼ完全なコピーであることを発見した。UAE民法制定にあたり、エジプト民法を含めた中東各国の法の継受を考察する必要があるが、本研究が事前に想定した、中東各国が、民法制定にあたり、M法典の影響をいまだに受けつづけている事実が、本研究を通じて具体的に明らかになった。中東各国の民法典条文を比較する基礎研究分野の重要性を指摘できよう。

本研究を通じて入手したM法典の各国語訳は質・量ともに拡充され、世界有数のコレクションと言えるまでになったと自負する。また、オスマン・トルコ語や英仏語訳のみならず、ロシア語やセルビア・クロアティア語訳を用いた訳文の対照も、体系的とは言えないものの、断続的かつ効果的に行われ、条文における使用語彙比較など、比較法研究上興味深い知見が得られたことも付言しておく。近現代の中東各国法を研究する際に、安易な二分法にとらわれることなく、緻密に法を比較しつつ研究を進めることの重要性を今一度強調して、本研究の最終報告とする。

2016年9月


サントリー文化財団