成果報告
2015年度
アイゼンハワー政権期の台湾政策― 国府の正統性及び台湾の地位を中心に ―
- 立教大学大学院法学研究科 博士後期課程
- 鍾 欣宏
(1)研究の動機、意義と目的
本研究は、現在執筆を進めている博士論文「米国の台湾政策1945-1979――台湾の法的地位及び国府の正統性を中心に」(仮題)の重要な一部である。米中関係・米華(国府)関係に関する研究については、すでに多く蓄積がある。しかし、従来の研究は、「台湾問題」を米国の中国政策の枠内の一つの要因として扱うことが圧倒的であり、また、米国の対華政策(対国府政策)に関する研究においても、「台湾問題」を国共内戦の延長線上に位置づけて検討してきた。「台湾問題」は現在に至っても未解決の国際問題であり、また、「国府の正統性」は、日華平和条約、米華相互防衛条約という法的秩序に拘束された。つまり、「国府の正統性及び台湾の地位」は米台関係研究における重要な視点でありながら、この問題に焦点を当てる米国の台湾政策を国際政治・外交史的に分析する試みは不在である。
「台湾の法的地位」について、台湾と澎湖諸島は、1945年の終戦までは日本の植民地であった。戦後は、中華民国国民政府が連合国の一員として台湾を接収し、実効支配を行うようになった。ただし、終戦後の敗戦国の領土(旧植民地も含む)に対する処理は、戦勝国と敗戦国との間の平和条約で確定しなければならないとされていた。しかし、東アジア冷戦の開始と進展、朝鮮戦争によって、サンフランシスコ平和条約は、日本の旧植民地である台湾・澎湖諸島の帰属先に対する戦後処理については「不完全」のままであった。その一方、「国府の正統性」について、米国は国民政府を中国の正統政府として外交承認しながらも、日華平和条約、米華相互防衛条約において、国府の領土を台湾のみに限定し、言わば「不完全承認」であった。博士論文及び本助成研究では、まず「台湾の法的地位」に着目して、米国の台湾政策を考察するとともに、この問題と「国府の正統性」との関係を探究する。
本助成研究に当たるアイゼンハワー政権前期については、1953年、アイゼンハワー大統領は、就任早々「台湾海峡中立化解除」を打ち出し、その後、第一次台湾海峡危機、米華相互防衛条約を経て、「中台分断固定化」が進行した。この研究は、米国の対華外交は、対中政策に対応するための単なる従属要因ではなく、「終戦・講和・旧植民地に対する戦後処理」という文脈に立つ重要な独立要因として進められたことを明らかにし、米台関係史における「台湾問題」の起源を解明しようとする。
(2)研究で得た知見と今後の展望
アイゼンハワー政権期の台湾政策、とくに法的地位に対する見解については、明らかにダレス国務長官がキーパーソンである。彼はトルーマン政権で対日講和条約の交渉を担当し、また、米華相互防衛条約を取りまとめるなど、東アジア国際問題に精通し、アイゼンハワー政権の台湾政策の事実上の設計者であった。ダレスは、「台湾地位問題」を中国内戦の問題と結び付けることなく、対日講和条約は、日本の旧植民地である台湾・澎湖諸島は中国に与えておらず、「台湾の法的地位」が未定であると主張した。彼はまた、戦勝国の一員としての米国も敗戦国の「未処理領土」である台湾に対する処理の権益を留保していることを強調した。
米国は、1954年の台湾海峡危機をめぐる「国連停戦案」をもって台湾の中国分離や台湾独立も構想した。ダレスは、「台湾の法的地位」が未定であることを意識していたため、国連安保理での対中国提訴によって、台湾海峡の停戦を望む同時に、「台湾の地位」の未定からの解決、国連信託統治や独立への発展も可能なことを念頭に置いた。他方、米華相互防衛条約の締結に至ったものの、ダレスは、中国福建省の沿岸諸島の金門・馬祖(国府が支配している)の法的地位と「台湾の法的地位」を明確に区別すべきであると説き、金門・馬祖を対象とする防衛条約を避け、沿岸諸島の防衛義務を負わない方針に堅持した。さらに、国府の領土を「法的地位」が未定である台湾・澎湖のみに限定した。かかる領土の設定により、米国は、国府を中国の正統政府として承認しながらも、国府の領土が中国大陸及び国府が支配する中国沿岸諸島までも含めておらず、法的地位としては完全に中国の領土から分離する決定を下した。かくして、中国政府を代表する「国府の正統性」は弱体化したのである。
対日講和担当の全権大使であったダレスは、トルーマン政権期の日華平和条約をめぐる米華日交渉において、「台湾を中国の領土下に置く暗示的文言を用いてはならない」と国府に圧力をかけた。また、朝鮮戦争の勃発後、ダレスは「台湾の国連信託統治案」を計画したことがあった。ダレスは、終戦以来の台湾が国府に支配されているものの、「台湾の法的地位」が依然として未定であることを意識したからである。
結局ダレス、そして米国政府の立場は、対日講和条約における台湾の処理は未定であり、米国は台湾に対する戦後処理の権益を有するということである。「台湾の法的地位」は、第一次台湾海峡危機、台湾政策を検討する際の重要な考慮要因となり、「国府の正統性」は、この問題で弱体化したのである。
今後の研究目標としては、アイゼンハワー政権後期、以降60年代、71年の国府の国連脱退(アルバニア決議)、79年の米中国交正常化・米華国交断絶(台湾関係法の制定)まで時期を広げ、米国の台湾政策を「中国の内戦問題・中国への対応策」という文脈ではなく、「終戦・講和・旧植民地に対する戦後処理」という文脈に立って検討したい。
2017年5月