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研究助成

成果報告

2015年度

朝鮮植民地期における画家と作品、思想の移動(朝鮮、日本、ヨーロッパを中心に)

東京大学大学院総合文化研究科 博士課程
申 ミンジョン

 本研究は、韓国の近代洋画を「移動」の観点から考えようとする試みである。具体的には、戦前における日本と韓国の画家たちの移動−−留学、派遣、従軍等−−や、地域をまたがる作品の収集とコレクションの形成、韓国における西欧美術様式の再解釈の問題、洋画の技法を用いた韓国性の表現の問題など、韓国近代洋画にかかわる様々な問題をトランス・ナショナルな観点から多角的に見ようとする。
 韓国美術の近代は、日本占領期(1910−1945)から始まっていると見るのが定説のようになっている。なかでも洋画は、その概念や絵画様式ともに、植民地期に初めて韓国に紹介された、きわめて新しくて異質的なジャンルのものとして認められてきた。韓国近代における洋画の移植、発展、その土着化の過程を理解することは、植民地期の状況の中で、洋画という新しい美術形式が、韓国の社会に染み込んでいく様子を把握する手がかりとなり得る。同時に、日本から輸入された洋画が韓国の既存の文化・芸術と出会い、それに適応しながら、次第に韓国の美術の一部として定着していく様子をも見ることができる。
 本研究では、日本統治時代に新たな文物として展開された洋画が持つ意義およびその限界を、美術史の観点にとどまらず、歴史的・社会的・文化的な観点からも考察しようとする。よって、「日本に教わったもの」、西欧や日本の洋画の亜流のように見なされてきた韓国の近代洋画が持つ独自性を見出そうとする。洋画の導入と韓国美術の近代化が持つ相関関係を複眼的に考え、その近代化が帯びる意味を、当時にとどまらず、現在の観点からも考えることが、本研究が求める究極的な目標なのである。

 今まで韓国の近代美術および、近代美術をめぐった日韓関係に関する言説は、美術制度や行政、政治イデオロギーの観点から論じられる場合が多かった。美術の移動に関して論じる際も、韓国における美術関連のシステムの受容が主な内容となっており、美術における中心と周縁という厳しいヒエラルキーを前提として語られてきた。「中央への集中(韓国人画学生の日本留学)」と「周縁への拡散(日本人画家の派遣および、美術制度や思想の紹介)」という図式は、美術における移動を、受動的で硬直したものとして認識させられた。本研究では、このような今までの認識を考慮しながらも、移動の主体となる画家の個人の事情、それぞれの画家の個人的経験が持つ特殊性にも目を向けようとする。「官」により、政治的な目的から行われる移動の場合でも、移動先における異文化の体験やその内面化の過程には、画家の自発的な判断および取捨選択による「私」的な部分が存在する。画家は、移動の過程で、多様な文化と出会い、自分のアイデンティティーの揺らぎを経験しながら、自らの価値観やイデオロギーを形成していく。画家の私的な経験およびその絵画化に注目することは、美術の移動を、それぞれの場所における社会的・文化的な文脈から理解しようとする姿勢である。また、美術行政や制度で一般化できない、芸術の持つ個別的で個性的な特性を探し出そうとする姿勢でもある。
 この目的に合わせて2016年には、韓国と日本、ヨーロッパを行き交った様々な国籍の画家たちに関する事例研究を重点的に行い、各々の画家の異文化経験が彼らの芸術活動や制作に与えた影響を明らかにしようとした。例えば、韓国と日本、フランスの画壇を経っていた日本人画家の作品とアイデンティティーの形成に見られる「第3の境界性」、日本に留学した韓国人画学生における近代性の経験およびその芸術的な受容を究めた研究成果について学会発表を行った。また、ヨーロッパで活動した韓国人画家の作品に見られるハイブリッド性を提示する研究発表も行った。これらの発表により、三つの地域の近代美術を有機的に見直し、今まで見逃された韓国近代美術のダイナミックな側面を見出したと評価された。

 課題は残っている。韓国の近代美術を正確に捉えるためには、洋画に関する考察だけでは十分ではないだろう。東洋画や彫刻、工芸や書道など、韓国の近代美術を構成する他の美術分野にも目を向ける必要がある。前近代の美術との連続や断絶の問題にも注意を払わなければならない。韓国の近代以前の美術に見られる近代的な要素と、近代の美術に見出される伝統的な特徴を理解することは、韓国近代美術の独自的で能動的な側面を見つけ出すために欠かせない作業であるだろう。最後に、同じ時期にそれぞれの方式で美術の近代化を進めていた東アジアの国々の画壇の状況をも視野に入れようとする。異なる社会文化的な状況から生み出された近代美術を比較対照することにより、東アジアの美術における近代性を幅広く考える足場を設け、それに対する「新しい批判」の可能性を提示したい。

2017年5月

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