成果報告
2015年度
戦後初期における国共両党の政治宣伝の展開(1945-1949)
- 東京大学大学院総合文化研究科 博士課程
- 田 瑜
中国近現代史研究における一つの普遍的な研究テーマとして、「なぜ国民政府・国民党が大陸政権を喪失したのか」という問題がある。このテーマについて、これまで軍事史、政治史、経済史、外交史など多様な分野で膨大な先行研究が蓄積されてきた。にもかかわらず、未だ論争の可能性を残している。それは、政治宣伝という視角からの検討はまだ十分ではないということである。
国民党政権が大陸政権を失った総合的な原因のひとつとして、しばしば指摘されるのが、共産党との「宣伝戦」での敗北である。蒋介石自らも国民政府の台湾移転後、一連の検討において、共産党の宣伝に悩まされたと表明している。国共宣伝問題に関する研究は、二次的なファクターとして扱われる傾向があり、正面から取り上げる研究は少ない。宣伝問題は政治史、外交史、経済史、文化史などと多元的に関わる分野で極めて重要であるものの、これまで十分な実証研究が蓄積されているとは言い難い。
しかし、宣伝は国内外政治において極めて重要な役割を担っていて看過できない。宣伝とは、特定の目的をもって個人あるいは集団の態度と思考に影響を与え、意図した方向に行動を誘う説得コミュニケーション活動の総称である(佐藤卓己、『現代メデイア史』岩波書店、1998年、117頁)。19世紀以降の国内外政治において、宣伝は極めて重要な役割を担っている。とりわけ戦争の期間においては、「硝煙が見えない戦争」とも呼ばれる。国民党・国民政府は北伐の時期に、民衆に対して宣伝を繰り返し、革命の支持を得ようとした。日中戦争期に、国民党政権が国際援助を得る為に行った対外宣伝もよく知られている。これらの政治宣伝は、軍事、経済、外交とともに歴史の変容過程における重要なファクターであり、無視できない。戦後初期の中国政治変容に対しても同様である。戦後初期に国民党と共産党が行った政治宣伝は、統治正当化の維持或いは獲得のためにとられた不可欠な一手段である。両党が自身の政治主張を国民にアピール、或いは政治と軍事行動を正当化する際、宣伝は政党と国民の架け橋とされた。平和談判の時期にも両党が宣伝を重視し、国共内戦が始まってからも宣伝を放棄しなかった。
本研究は、なぜ抗戦勝利から国民党の大陸撤退・人民共和国の建国に至る僅かな四年間で、国民党は大陸政権を喪失したのかという問題を、政治宣伝の視角から再検討しようと試みる。研究手法としては、国民政府、国民党及び共産党に関する未公刊档案資料、公刊資料を用い、また蒋介石や毛沢東など関係する人物の選集、日記や回想録を利用し、さらに新聞、雑誌資料などを加えて、考察を進めている。研究視座は二つ設定している。まず、「宣伝」を、一般的にプロパガンダが想起させるネガティブな意味や、戦争にまつわる強いイメージの特徴と区別して捉えかつ政権統治の視角のなかに置く。そして、国民党政権の戦後統治と戦後国共紛争の二つの軸・文脈において検討する。
今後の課題については上記の研究を発展させ、次の二つの課題に取り組むことを考えている。第一に、戦後初期の国共内戦以降、冷戦の進展とともに、台湾に移された国民党政権と大陸に成立された共産党政権が国内外に向けて統治正統性をアピール、維持する為に行ったそれぞれの宣伝実態の変遷を考察することである。第二は、国共内戦期と中華人民共和国創立後において、両党が争奪対象とした知識人及び民主党派に関する分析である。彼らは内戦末期には、中国共産党(中共)の「連合政府論」の構想に惹かれて、その大半が中共と提携して国民党の「一党独裁」を打倒する立場に立った。そうした背景から中華人民共和国創立直後には中共とのいわゆる「蜜月時代」を迎えた。にもかかわらず、その後反右派闘争時期には中共の「思想改造」の対象となった。こうした知識人及び民主党派と共産党との合作・対立関係を究明したい。
2017年5月