成果報告
2015年度
「九想詩」の研究―― 死生観をうたう文学のジャンルとして
- 東京大学大学院総合文化研究科 博士課程
- 龔 嵐
九想詩とは、仏教の九想観を主題とした詩で、人間の死骸が徐々に腐敗して、やがて土へと帰る過程を九段階に分けて瞑想する禅観の体験と感想を言葉で表現したものである。
『弁正論』と『出三蔵記集』の記録に従えば、九想詩は東晋の劉遺民と南斉の蕭昭冑が書いたものであって、現存しているもののうち、最も早いものは六朝末に書かれた『雑集』本九想詩である。そのほか、敦煌文献には六点の九想詩が含まれており、日本では、平安期から中世にかけて、伝空海作九想詩と伝蘇東坡作九想詩が作られ、特に伝蘇東坡作九想詩は絵巻の詞書となり、謡曲にも引用され、広く流布した。日中において、現存する九想詩は全部で八種ある。中国の六朝・唐・五代、日本の奈良・鎌倉・室町時代、九想詩は極めて広い時空にわたって書かれ続けた。にもかかわらず、今までの文学史で九想詩についての言及が殆ど見当たらない。本研究は日中両国の資料を視野に入れ、テキストとしての九想詩がどのような言説空間から生み出されたのかを検出し、いかなる意義や役割を持ち得たのかを検証することを目的とする。
本研究は三つの部分から構成されている。以下、具体的に各部の内容のあらましを記す。第一部においては、中国の六朝末の名僧真観によって書かれた『雑集』本九想詩を取り上げ、六朝時代の慧遠を始めとする廬山の仏道修行者などによって書かれた仏教詩をも視野におさめ、信仰の世界と詩文の関係、修行を表現する修辞はいかに詩文の伝統的な修辞手法を踏まえながら作られたのかについて考え、九想詩はどのような場で、なぜ書かれたのかについて検討した。六朝において九想詩の書かれた場を確認してから、真観の『雑集』本九想詩のテキストを具体的に分析した。九想詩は士大夫に多くの関心が持たれ、『雑集』本九想詩も在家の居士の要請に応じて作られた。六朝の士大夫にとって最も切実な問題は、自己と人生であり、人生の無常を詠う詩文が多く作られていた。『雑集』本九想詩はそれらの詩文の流れを汲み、人生段階論の枠組に九想観の死のイメージを導入し、古詩などに見られる推移の悲哀を持ち込み、生から死までの人間の一生を詠った。また、「塵」、「嘆老」といった従来の漢詩の表現を「焼想」「新死想」の描写に用い、人々に熟知された始皇帝と斉桓公の死の故事を引用することで、九想のうちで最も忌わしい膿爛想を表現した。つまり、多重的な表現によって新たな死のレトリックを構成した。
第二部では、唐と五代に書かれた敦煌本九想詩を取り上げ、唐代仏教の庶民化する過程において、九想詩というジャンルの確立と展開を論じた。九想詩の内容の検討に入る前に、まず鈔本について書誌学的な考察を行い、用紙、形態、書式、内容概況などを把握し、物質性や流通のコンテクストに注目した。九想詩の鈔本の形態と抄写されている作品の内容を確認し、死者救済の供養経、坐禅関係あるいは浄土念仏法会行儀に用いられる詩讃と併記する場合が多い点に基づき、敦煌本九想詩の流通の場を推定した。敦煌本九想詩の享受される場を考えてから、次には各作品についてテキスト分析を行った。各詩の本文を分析するとき、主に次の三点を注意しながら行われた。(一)九想詩が仏教の禅観を主題としたため、九想観の修行と修行に用いられた死体のイメージと深く関わっている。したがって仏典における九想についての記述と比較し、仏典の表現と九想詩の相関関係を検証してみた。(二)人間の生死を語り、仏教的な救済を目指す九想詩には、「四大」「五蘊」「六識」「十二因縁」「六道輪廻」といった仏教の範疇が多く含められている。それと同時に、「身」「命」「形」「神」「気」「心」「魂魄」といった儒道と共有する概念をも多用している。これらの概念は宇宙観及び人間の存在に対する従来の認識と深く関わっている。九想詩がいかに従来の認識と表現を踏まえながら、仏教の九想観を媒介として、新たな生死の世界を具体的に描いたのかについて考察した。(三)六朝末に書かれた『雑集』本九想詩と比べ、九首からなる敦煌本九想詩の内容が一層豊かになり、悼亡詩、悼亡賦、挽歌、哀永逝文などといった死と深い関わりを持つ伝統的な詩文から多くの表現をとりこんでいる。これは敦煌本九想詩が死者救済の場に用いられたこととも無関係ではない。これらの詩文は葬式の場に詠われることが多く、死者に対する悲しみを表現する抒情的な表現である。本研究では、これらの抒情的な表現がいかに仏教の真理に見合うように組み替えられ、従来の詩文に表れた死の悲しみがいかに九想詩のなかで乗り越えられ、仏教的な救済に導くのかについて分析し、抒情的なレトリックから悟りの表現へという仏教の修辞法のメカニズムを分析した。
第三部は空海の『三教指帰』と伝空海作九想詩を取り上げ、日本における九想詩の展開の重要な転換点について論じた。「観無常賦」の描写には『遊仙窟』をはじめ、美女の肉体美を表現する修辞が多く用いられた。『三教指帰』は空海が大学寮を中途退学して、山岳修行の期間に書かれた。本章では、修行の場・回心の体験と美女のイメージで描かれた死体の描写のかかわりについて考え、美女から不浄への「読み替え」のメカニズムを解明していく。美女の肉体の崩壊の描写が道教思想と深く関わる神女をめぐる一連の詩文とも関係している。この部分の描写は第二幕の道教思想を代言する虚亡居士とどのように対応しているかについても考えた。また、空海の別集『性霊集』の第十巻に九首の五言古詩の九想詩が載せられている。一〇七九年頃に仁和寺の済邏によって『性霊集』に編入された偽作だと思われるが、「観無常賦」の死の描写に近い表現が多く見られ、死体を観ずる修行者も詩に登場する。十一世紀に空海に仮託した九想詩が空海の別集の『性霊集』の再編を機に、アンソロジーに編入され、真言密宗の復興、弘法大師信仰の高まりとともに広く流布した。
本研究の研究対象がそれぞれ異なる時代と地域に存在したため、これまでは各地域と各時代の社会、文化、思想の枠組みの中で九想詩を捉えることに重点を置いた。現在は三つの部分の間に、どのような関係性が存在するのかを検証することにより、中国から日本への九想詩の内容の転換の意義を検討し、上述した三つの部分の研究の相関性に注意しながら、博士論文を執筆している。今後は、室町時代から流布した伝蘇東坡作九相詩に注目する。伝蘇東坡九相詩はそれ以前の九想詩とは異なり、漢詩に和歌を添え、「和漢」の形を取る九相詩絵巻の詞書として、漢詩・和歌・絵の総合的な享受によって流布したため、和歌と図像の表現がいかにテキストの生産に関わっているのかについても考えていきたい。
2017年5月