成果報告
2015年度
文学・文化を通して見た現代ロシアの精神構造
- 東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程
- 奈倉 有里
研究概要
本研究では現代ロシアの文化面の近年の動向をいくつかのテーマに絞って分析し、また実際に現地に赴き作家、雑誌編集長、文化施設のキュレーターなどにインタビューをとることで、文化運動の外的側面とそれの及ぼす影響などについて調査を行うものである。
「文学の年」「映画の年」における文化奨励キャンペーンとその余波
ロシアは昨年2015年を「文学の年」、2016年を「映画の年」と定め、それぞれかなりの資金を投入して大々的な文化イベントを開催してきた。例えば「文学の年」には、ブックフェスなどのイベントを一年間モスクワに限らずロシアのさまざまな場所で開催する、テレビのロシア文化放送というチャンネルでレフ・トルストイの「戦争と平和」全文を世界中の人々がリレー形式で読むなどの試みを行っていた。
こういったイベントの趣旨は、「文学の年」のイベントのロゴに良く表れている――三人の横顔がロシア国旗の色で塗られている。ゴーゴリ、プーシキン、アフマートワという十九世紀から二十世紀初頭までの作家や詩人の横顔のシルエットだが、それを国旗の色で塗るということからは、ソヴィエト崩壊後にイデオロギーとしてあまり機能しなくなっていた「ロシア文学」を、もう一度「統一した視点」から括りなおそうという目的が明確に見てとれる。一連のブックイベントには一部の出版社が思想的理由で参加を許可されないこともあり、またこのイベントと連動して文芸誌編集部の多く入っていたビルの賃料が急激に値上げされ、編集部が転居を余儀なくされる例もあった。対象となったのは「世界文学」というその名の通り外国文学を中心に扱う文芸誌、そしてソヴィエト時代から続く伝統的な文芸誌「旗」の編集部などで、このうち「旗」の編集長イワノワ氏には個別にインタビューをとった。この結果、文化推奨キャンペーンの裏にあるさまざまな問題点が明らかになった。
続く2016年「映画の年」もまた大々的なキャンペーンや上映会に援助がなされ、さまざまなイベントの形で実現した。しかし映画関係者もまた近年、困難に行き当たっている。ひとつの例として挙げられるのが、モスクワの国立映画博物館の変遷である。2014年に創設者のナウム・クレイマンが辞任に追い込まれ、それにともない副館長・主要学芸員などの多くが辞任した。こういった現象は近年多くの美術館・博物館で起きているが、今回は映画博物館の元副館長、現在はトレチャコフ美術館のキュレーターとして働くマクシム・パヴロフ氏に数回にわたりインタビューをとり、内情を伺った。
しかし同時に、さまざまな規制の強化や画一的なキャンペーンの裏で、新たな文化活動の場ができつつあるという傾向もみられる。たとえばトレチャコフ美術館はいうまでもなく絵画の展示が主であったが、小規模な映画上映会や、リュドミラ・ウリツカヤの講演会など、かならずしも文化キャンペーンの要求する「統一した視点」とは一致しないイベントを数多く行っている。
さらに小さな規模では、近年急激に増加した小さな文学カフェなどのスペースで、若者を中心としたカウンターカルチャー的なイベントも行われている。実際に主催者に訊くと、こうした一連の地下活動的な動きを「ソヴィエトへの回帰」、とりわけブレジネフの時代と重ねて「二十一世紀の停滞」と捉える見方が存在する。自由化のあとに訪れた「不自由化」、規制の強化とともに、抑圧を感じながらも見えづらいところで文化が形成されていくということ、そしてこの停滞はおそらくあと少しで終わる、このまま抑圧の緊張感が続くわけはないという予感のようなものを口にする人々が非常に多い。
ウクライナ問題との関連
このことと切り離して考えてはいけないのが、こういった文化キャンペーンの裏でずっと紛争が続いているということだ。ウクライナ東部における紛争は今も終わっていない。通訳・翻訳者のマリヤ・プリモルスカヤさんの祖父母は、ウクライナ東部の紛争地域ドンバスに住んでいた。2年前にモスクワに「疎開」し、しばらくモスクワに住んでいたが、またウクライナに戻っている。彼らは、今でも銃声は聞こえるが、人々は慣れてしまったと語っているという。ウクライナ問題へのアプローチはさまざまに考えられるが、主にその解決の糸口を文化という面から考える人々を取材した。
モスクワでこの問題の渦中にあるのがウクライナ文化センターだ。センターはモスクワの目抜き通りであるアルバート通りに位置している。この二年間で6回、正門前の国旗を切り裂かれる、火をつけられるといった被害を受け、また図書館が襲撃を受けるといった深刻な事件も起った。44名いたスタッフは一時期6名まで減った。かねてからセンターに勤務していたアンドレイ・バビコフ氏はそんななかでセンターの所長になり、現在スタッフを12名まで増やしたという。インタビューでは現状について、2年前に比べて被害はかなり減ったと述べる一方で、それは決して人々が理解しあったからではなく、社会が幾層にも分断し、互いに意見の異なるグループに属する者の声を聞くのをやめてしまったからだ、このままではやはりあと一度は大きな武力衝突が起こることは避けられないだろうと語った。センターとしては、やはり文化を伝えることでこの問題を緩和したいという。ウクライナの民族衣装を着てモスクワの街中でダンスを踊るといったイベントも、最近になってようやく無事に開催でき、大きな問題は起こらなかったということだ。
ただしこのような「文化」の伝え方を疑問視する声もある。パヴロフ氏は、センターの見せる「文化」が民族衣装や舞踊など「フォークロア的なもの」に限定されていることに大きな問題があると指摘する。それが、不幸なことに現在ロシア人一般に深く浸透してしまった「幼稚なウクライナ人」というイメージを助長するものでもあるからだ。「文化とは人と人との理解の助けになるものでなければならないのに、文化の名のもとにフォークロアだけを見せていたら、その認識しか持たない人と人とは、フォークロアレベルの対話しかできなくなる」というのがパヴロフ氏の主張である。
「社会は分断され、人々は対話するための言語を失った状態にある」のか
上掲のウクライナ文化センター所長バビコフ氏の言葉だが、これを解決する糸口になるべき「文化」の役割と、その提示の仕方といった問題意識を中心に、この先の調査を進めていきたい。
2017年5月 ※早稲田大学非常勤講師