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研究助成

成果報告

2015年度

賞の経済効果:受賞が余命・生産性に与える影響

大阪大学大学院経済学研究科 博士後期課程
黒川 博文

経済学はインセンティブを考える学問である。本研究では、インセンティブを用いた制度である賞の経済効果について考察を行う。賞の制度があることによって、人々は受賞を目指し、努力することになるため、賞の存在が生産性を高めることは容易に想像できる。では、受賞者には、受賞後にどのような影響があるだろうか?第1は、受賞によって、受賞者の生産性が向上する(Chan et al. 2014)。彼らは、経済学分野において名誉ある賞の一つであるジョンべーツ・クラーク賞を受賞した人は、受賞者と非常に似通った性質を持つが受賞できなかった人と比べて、受賞後、生産性(出版数や引用数)が向上したことを明らかにした。
 第2は、受賞によって受賞者の余命が変化する。受賞と寿命は一見、関係のないように見えるが、アカデミー賞俳優賞を受賞した人は候補者と比べて寿命が長く、アカデミー賞脚本賞を受賞した人は候補者と比べて寿命が短いことを示した研究がある(Redelmeier and Singh 2001a,b)。受賞者と候補者は非常に似通った性質を持っており、受賞したかどうかだけの違いのため、受賞が余命に与える因果効果を捉えることが可能である。アカデミー賞以外には、ノーベル化学賞・物理学賞受賞者の寿命が長いことを示す研究がある(Rablen and Oswald 2008)。このように、受賞が余命にプラスの影響を与えることを示す研究とマイナスの影響を与える影響が混在している。本研究では、日本において最も権威のある文学賞である芥川賞・直木賞の受賞が余命に与える影響を分析することによって、受賞による余命効果の混在する結果に対して統一的な解釈を試みたい。
 このような受賞の余命効果を分析することには、健康格差の問題を考える際に意義がある。受賞を社会経済的地位の上昇と捉えることによって、社会経済的地位が高いから健康なのか、それとも、健康だから社会経済的地位が高いのかという社会経済的格差と健康格差の因果関係を明らかにできる。
 受賞によって社会経済的地位は上昇するが、受賞時点の社会経済的地位の違いが、受賞の余命効果に与える影響が異なるのではないかという仮説を立てた。具体的には、社会経済的地位が低く不安定な地位にいるときに受賞すると、地位の上昇による仕事負荷の増加よりも所得向上や地位向上の影響の方が大きく、余命が延びる。一方、社会経済的地位が高いときに受賞すると、仕事負荷の増加が他の影響よりも大きく、余命が縮む。
 こうした仮説を検証するのに、芥川賞・直木賞の受賞者と候補者の寿命を比較することが適している。なぜなら、両賞は日本を代表とする権威の高い文学賞であり、候補者は候補に挙がっていることを自覚しているなど様々な共通点を持っているが、候補対象者の社会経済的地位が両賞で異なるからだ。芥川賞は新人賞的な性質を持っており、候補対象者の経済的基盤・社会的地位は未確立であるのに対して、直木賞は中堅以上作家向けであることから、候補対象者の経済的基盤・社会的地位は確立済みであると考えられる。
 実際に、受賞者と候補者の寿命をそれぞれ比較すると、芥川賞の場合は延命効果があり、直木賞には短縮効果があることが明らかになった。ただし、こうした比較は単純な比較であり、健康で長寿な人ほど候補に挙がる確率が高く、また、受賞する確率も高いといった可能性などを考慮できていない。こうした可能性を考慮した分析を行った上でも、芥川賞には+2.4歳の延命効果があり、直木賞には-5.1歳の短縮効果があることが確認できた。
 アカデミー賞俳優賞の受賞者には、若くて社会経済的地位が確立していない人が多く含まれており、受賞により延命効果が確認されたのであろう。一方、アカデミー賞脚本賞の受賞者は、年齢が高く、受賞によって仕事の負荷が大きくなったため、受賞による短命効果が確認されたのであろう。ノーベル賞受賞者に関しては、年齢が高く、社会的地位が確立した人が受賞するため、短命効果が確認されるという予測になるが、Rablen and Oswald (2008)は延命効果を確認している。この結果は仮説と矛盾した結果のように見えるが、ノーベル賞の場合、賞が与えられるのが当該年度の研究ではなく、多くの場合、将来に評価されるという点を考えると、納得がいく。受賞による仕事負荷の上昇が比較的に小さいと考えられるため、延命効果が確認されたのであろう。
 以上のように、芥川賞・直木賞を用いて受賞が余命に与える影響の分析を行った。当初の計画では、両賞の受賞が受賞作家の生産性に与える影響も分析する予定であった。作家の「生産性」について、研究者の生産性とは異なり、適切な指標を見つけることができず、分析を断念した。今後、他の賞を用いて受賞が生産性に与える影響を考察していきたい。現実の賞のデータに限らず、実験室内で賞を与えて生産性を見るラボ実験や、現実社会に賞の制度を導入し、その後の生産性を計測するといったフィールド実験など、実験的手法を用いた賞の経済効果に関する分析を行うことも今後の課題としたい。

2017年5月 ※日本学術振興会特別研究員PD(同志社大学政策学部)

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