成果報告
2015年度
清末外交機構の多角的研究―― 総理衙門と北洋大臣を中心に
- 京都府立大学大学院 博士後期課程
- 荻 恵里子
本研究は、2014年度の同フェローシップにおける研究テーマ「清末外政機構の多角的研究――総理衙門と北洋大臣の役割を中心に」の継続研究に相当するものである。
19世紀末の中国(清朝)において、外政機構は多元的に存在していた。そこで清末政治外交史関連の先行研究においては、中央と地方という外交権力の二元化とそれらの対立が清末外交の大きな特徴だったといわれている。しかし、清朝側がなぜそのような二元的な方法をとったのかを考察し、清朝の制度と実態に立ち入ってその意味をつきとめる研究はなされておらず、個別の機関・アクターについて研究されてはいても、それらの関係性はよくわかっていない。つまり、政治と外交、あるいは制度と交渉は、有機的な関連を持って把握されていないという研究状況にある。実は総理衙門が外務部(中国における最初の近代的外交機関とされる)に改変されても上述したような中央と地方の二元化は解消されておらず、このことは現代中国における外務省のあり方(政府内であまり力を持っていない)や中央・地方の関係とも密接に関連していると考えられる。そこで、清末の外政機構のあり方、特に総理衙門(中央)と北洋大臣(地方)の両機関が当時の清朝外政において果たした役割や関係性を明らかにしていくことで、中国社会に潜む制度的特質及びその動態を明らかにすることを最終的な目標に掲げた。
結論から言えば、未だこの最終目標の達成には至ってはいないものの、昨年度までの助成を受けて、本研究テーマにおける重要な知見及び手がかりを得ることができた。
なお、当初は台湾・中国での史料調査も予定していたが、研究内容の状況と本フェローシップ終了後に中国へ留学予定であることを鑑みて、国内及びイギリスでの史料調査に集中することに計画を変更した。具体的には、国内で行われた多くの学会・研究会へ参加し、その前後に史料調査(国会図書館・東京都立中央図書館・東洋文庫・東京大学総合図書館・一橋大学附属図書館)も抱き合わせる形で積極的に行い、大学の長期休みに合わせて一昨年度に引き続きロンドンのNational Archives(イギリス国立公文書館)での史料調査を2回に分けて行った。
目に見える成果としては、まず①京都大学人文科学研究所附属現代中国研究センターから2016年9月に出版された論文集(村上衛編『近現代中国における社会経済制度の変容』)に、拙稿「北洋大臣の設立――1860年代の総理衙門と地方大官」が掲載された。また、②2017年3月に刊行された『京都府立大学文学部歴史学科フィールド調査集報』第3号には、拙稿「イギリス国立公文書館における近代中国関連史料の調査」が、さらに③6月刊行の『東アジア近代史』第21号には、「書評 李穂枝著『朝鮮の対日外交戦略 日清戦争前夜1876-1893』(法政大学出版局 サピエンティア47、二〇一六年八月)」が掲載された。
学会・研究会での報告は、すでに2016年9月に京都大学で開催された若手アジア史論壇・関西部会において「清末の対外制度から見る中央地方関係――1861年~1885年における総理衙門と北洋大臣李鴻章」と題した報告を行っている。加えて、今年6月には東京の中国研究所・定例学術研究会で、7月には京都大学人文科学研究所・研究班「転換期中国における社会経済制度」(班長:村上衛)で、それぞれ研究報告を予定している。
現段階では、上述①の論文で、北洋大臣が辦理三口通商大臣から改編される際に制度上・概念上は中央・地方の双方の顔を合わせもつ存在としてできあがったものだったことを立証し、これまでの研究では北洋大臣と並列・同列に扱われてきた南洋大臣(北洋大臣が北方の開港場を管轄するのに対し、南方の開港場を管轄する)について、与えられる役割・総理衙門との関係性が異なっていた点を指摘した。ここから、総理衙門を論じるには北洋大臣も抱き合わせて論じなければならないことが明確になる。さらに、北洋大臣には制度上に明記されないところで、李鴻章という個人の資質が北洋大臣職の機能・特質として組み込まれた上で成り立っていたという点も重要である。このような、役職に就いた人物によって制度が実体面で強い影響を受けるということについては、他の時代・国でもある程度は普遍的に見られるものかもしれないが、清末の中国においてはそのことが史実の経過に決定的と言ってよいような影響を与えたことに特徴があるといえよう。そのため、特に制度上の規定ですら、同時期の他国に較べて群を抜いてはっきりしていない総理衙門ではなおさら、組織と大臣個人を包括的かつ多角的に見ていく必要がある。上述②で紹介した史料からは、これまでほとんど明らかにされてこなかった総理衙門大臣のルーティンワークが垣間見られる。この史料を統計的に見つつ、各大臣の経歴とそれぞれの実地の交渉での動きをも合わせ、今後の研究報告・論文において制度と交渉、及び政治と外交の有機的な関係性を明瞭にする。
こうした知見や研究視角は、今年中国で生活・読書・新知三聯書店から出版されたばかりの総理衙門に関する書籍、李文杰『中国近代外交官群体的形成(1861-1911)』では見られない発想に基づいているが、李文杰氏が新たに提示した論点もある。また、上述③の書評で取り上げた著書以外にも、ここ一・二年のうちに、朝鮮史において総理衙門に相当する朝鮮の外交機関に関する書籍が立て続けに出版されている。このような国内外の新たな研究成果をいかに取り入れ、対話しつつ議論を組み立てていくかということも目下の課題であろう。
本研究テーマをまとめ上げた博士論文への提出には今しばらく時間がかかりそうであるが、今年9月から二年間の中国留学で現代の中国社会を実地に体験しつつ論文を書き上げ、帰国後すぐに博士論文を提出する予定である。
2017年7月