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研究助成

成果報告

2015年度

アメリカ・モダニズム文学と戦後日本文学の近親性をめぐって― フォークナーと中上健次の比較研究を基軸に ―

東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程
今井 亮一

 本研究は「世界文学」をひとつのキーワードとし、特に中上健次(1946-92)をめぐって考察するものである。中上はこれまで多くの場合、一方で戦後日本文学を代表する正統的文壇作家として、一方で被差別部落出身という出自に由来する一種のマイノリティ作家として、それぞれ説得的ながら半ば分裂をともないつつ、あくまで日本文学の枠内で語られてきた。本研究はこうした優れた先行研究を踏まえながら、中上が広く海外の作家・思想家の影響を受けたり、あるいは同時代の海外作家と自身をすすんで比較してみせたりした振舞いを参照し、その多面的な作家像を統合的に示していく。またそこから理論的な補助線を引くことで、その世界文学上の意義を示すことも目指している。
 近年、従来の一国一言語に囚われない世界文学研究は広く進められている。しかし例えば、より膨大な作品群に目を通すべく「遠読」を提唱したフランコ・モレッティのように、文学研究というより大状況的かつ一般論的な社会・文化研究に流れがちなものや、あるいは結局のところ、「各国文学」の枠組みに「外国文学」を足して「世界文学」とされ、かえって「各国文学」の枠組みが強化されているように見える場合も少なくない。こうした一種の「現状維持」的な方向性は、その「現状」を提示したものが欧米中心的な営為であった故に、世界文学研究にしばしば向けられる欧米中心主義という批判へつながっていくだろう。本研究はこうした先行研究から得られた知見を用いつつも、より個別具体的な作家・作品論から帰納的に議論をすすめ、各国文学の枠組みでは上手く掬いきれない要素を「世界文学」という枠組みで評価していく。
 それゆえ本研究が「世界文学」をキーワードとするのは、中上が視野に入れている作家が多岐にわたるという実際的な理由もあるが、それ以上に、特に作家としてのキャリアを積んだ中期以降の作品において、例えばそれまで用いてきた正統的≒標準的な日本語を屈折させた息の長い文体を用いたり、また内容面においては、アイヌや在日や沖縄という「周縁」に位置付けられてきた人々との連帯を示すようなプロットであったりと、一国一言語一民族を基本とする国民国家体制に疑問符を突きつけるような性格が窺えるためである。こうした作品を世界文学という観点から論じることで、「超国家」というよりも「脱国家的」な視座を導入していきたい。
 例えば上で触れた、『千年の愉楽』などに見られる非標準的な「息の長い文体」は、従来もっぱら「話し言葉」/「書き言葉」、「声」/「文字」といった二項対立で説明されてきた。とりわけ中上の筆歴に即して考えたとき、この図式は説得的なものであるが、文字で書かれている以上、それを「声」や「話し言葉」といった用語で説明することの限界も感じられる。その点、例えば翻訳研究の立場から世界文学研究に一石を投じたエミリー・アプターの議論などを参照した場合、こうしたどこか非標準的に響く書記法は、一種の同一言語内翻訳といった観点から理論化することができる。こうして日本語の中に亀裂を生じさせて自同律を揺さぶる文体という観点を導入すれば、そこから「周縁」的人々との脱国家的連帯という内容面への呼応もより明快になるだろう。
 比較という方法論が先走るあまり、根拠の脆弱な漠然とした議論にならないよう留意すべく、上のような大目標は掲げつつも、本研究は特にアメリカ文学との比較を重視している。それは先行研究において、中上が「日本のフォークナーになる」と公言していたため、アメリカ南部の作家ウィリアム・フォークナーとの比較研究がしばしば行われてきたという理由もあるが、フォークナーは大江健三郎や井上光晴といった戦後日本の重要作家に多大な影響を与えてきたし、また、こうした地方的作家たちとは必ずや対照的に論じられる村上春樹も、具体的な作家名こそ違うものの、アメリカ文学から強く影響を受けているという事情もある。実際、1984年に行われた中上と村上の対談では、アメリカ文学を中心に、言及する作家・作品の違いで二人がその対照性を自らすすんで引き受けているようにさえ見受けられる。戦後日本文学を考えるうえで、特にモダニズム以降のアメリカ文学を視野に入れることは、むしろ必要不可欠な作業であると思われるのだ。
 先行の比較研究では、作品内容の類似や相違など形式レベルでの作品分析に留まっていたり、あるいは、それぞれの文学史や作家史をほとんど重視しないままどちらかの作品・作家論を転用していたりする場合も散見される。本研究はあくまでそれぞれの特殊性を捨象することなく、かつ、個別研究の枠組みに留まらない議論を目指すものだが、最大の課題はまさに「大風呂敷を広げている」点である。豊かな先行研究の力を借りつつ、伝統的な優れた文学研究の方法論に倣い、基軸としては中上健次論の形で現在まとめている。フォークナーはガルシア=マルケスなど世界的に広く影響を与えたが、中上自身こうした作家たちを意識し、フォークナー作品の力を「繁茂する南」と表現していた。スケールの大きな中上の文学観に本研究で迫り、それを足掛かりとして繁茂する世界文学の見取り図を描いていきたい。

2017年5月

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