成果報告
2014年度
第二次世界大戦期のフランスの絵画における傷ついた身体:ジャン・フォートリエとオリヴィエ・ドゥブレの絵画についての考察
- 国立新美術館 研究員
- 山田 由佳子
研究の動機、意義、目的
20世紀の戦争、およびそれによる社会変化は、その時代を生きたアーティストの創作に大きな影響を与えた。フランスの画家フェルナン・レジェは、《トランプ遊び》(1917年)において、1910年代前半に確立したキュビスムのスタイルによって、戦場で傷つき、外科的処置によって不完全に再生される兵士の身体を描いた。第一次世界大戦によって男性兵士の身体が経験した破壊とトラウマは、シュルレアリスムが生まれる大きなきっかけとなった。非現実的、かつ空想的な世界の中に、時にコラージュなどを用いて断片的に挿入される身体イメージは、強固で統一した身体観を支える価値観の崩壊、とりわけ、第一次世界大戦後に男性性(masculinity)を維持することの難しさを示すものであった。
言うまでもなく、美術作品は社会や作家の思想を反映するためだけに存在するものではない。しかし、形態の抽象化、技法や素材の異種混交性など、20世紀絵画特有の表現によって、戦争の体験や記憶が視覚化されるとき、そうした作品の個別の絵画言語を詳細に検討したうえで、社会的なコンテクストに置きながら作品を解釈する作業は重要である。そうした視点から20世紀前半の美術の歴史を辿ることが報告者の研究における大きな枠組みである。そして、この枠組みの中で、第二次世界大戦期において、抽象的なスタイルによって、戦争(もしくは占領)の記憶を表現しようとした作品を考察することが、本プログラムにおける研究課題である。具体的には、ジャン・フォートリエとオリヴィエ・ドゥブレの作品がその対象となる。
ドイツのフランス占領時代が終わった後の1945年に、ジャン・フォートリエは、画家の手の痕跡を直接的に留め、絵画の物質性を押し出した抽象的なスタイルで制作した、「人質(Otages)」の連作(1942年-45年)をルネ・ドゥルーアン画廊で発表した。同連作は、発表同時アンドレ・マルロー、ジャン・ポーラン、フランシス・ポンジュといった批評家や詩人から評価を受ける一方で、その他複数の批評家にとっては、その特異な形態やマチエール(絵画の質感)が作品の主題を容易に理解することを阻み、困惑を覚えさせるものだった。同連作は極限の状態にある人間の姿を表象しようとしたものと繰り返し評されてきたものの、作品の制作状況が半ば神話的に語られるなどし、フォートリエ独自の造形言語の変遷を踏まえたうえでの美術史研究は長いこと等閑に付されてきた。そうした状況に変化が訪れたのは2000年に入ってからである。報告者の研究では、最新の研究成果を踏まえたうえで、1940年代のフォートリエの創作活動を再考する。1945年から46年にかけて、オリヴィエ・ドゥブレが制作した《死体とその魂》や《ダッハウの死体》といった作品では、画面は円や線で埋め尽くされ、タイトルが示す「死体」の具体的な形象を認めるのは難しい。これらのドゥブレの最初期の作品は、第二次世界大戦期の絵画研究の中で言及されることがあるものの、作品の個別研究はほとんど行われていない。近年では、フォートリエからの影響の可能性も示唆されるなど、パリ解放後のアートシーンにおける二人の作家の重要性が指摘されている。1940年代半ばの新しい抽象絵画と占領期の記憶との関係を軸とし、二人の作家の作品を分析することが本研究の目的である。
研究の進捗
この1年で2度にわたるフランス・パリでの資料調査を進めることができた。すでにフォートリエの「人質」の連作に関しては、この数年で様々な観点から研究を進めてきた。1940年代以前の取り組みに関しては、今回の調査で1983年にパリ大学に提出された大部の博士論文(複写不可)をまとめて読む機会を得ることができた。さらに、ポンピドゥ・センター内のカンディンスキー図書室がリニューアルされた後に訪問し、同図書室内で保管しているオリヴィエ・ドゥブレに関する資料の大半に目を通すことができた。本研究は、現在執筆中の博士論文において中心的な部分を占める。博士論文は、「第1部 第一次世界大戦期のフランス美術における解体される身体の表象─キュビスムとシュルレアリスムによる応答」「第2部 占領の記憶と絵画─ジャン・フォートリエの「人質」の連作とオリヴィエ・ドゥブレの絵画」から構成される。本研究では、収容所での体験を作品にしたマックス・エルンストやハンス・ベルメールの作品も参照するため、この1年でそうした作家の資料も集め、博士論文に反映することもできた。
今後の課題・見通し
現在、上記に挙げたテーマの博士論文を執筆中である。フォートリエの研究はこれまでかなり進んでいるが、ドゥブレに関しては、資料を集めたものの、考察と執筆に関してはこれから取り掛かる部分も多い。博士論文の枠組みの中で、ドゥブレの作品についての分析をまとめることが今後の課題である。
2016年5月