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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2014年度

政党内閣崩壊過程における予算政治の展開
― 世界恐慌後のアメリカとの相互作用 ─

東北大学大学院法学研究科 准教授
伏見 岳人

1.研究の動機、意義、目的
 本研究は、1930年代の日本の政党内閣崩壊過程における予算政治の展開を、特に世界恐慌後のアメリカとの相互作用に注目して分析するものである。
 1910年代に確立した日本の政党内閣は、世界恐慌後の社会変動に対応できずに1930年代に崩壊した。この崩壊過程は近代日本研究のいわば本丸であり、戦後日本の政治と政治学は全てこの教訓の上に展開したといっても過言ではない。この過程を分析するためには、一方で大量に存在する日本側の一次史料を追跡しつつ、他方で当時の政策決定者の認識枠組みを外在的に批判する視角を修得することが求められる。そのためにはアメリカ側の視点について理解を深めることが重要であり、世界恐慌の衝撃を同じく受けた両国の政治過程の連関を内在的に分析することが必要となる。
 しかし、その作業を遂行することは、日米の空間的・文化的距離もあって多くの困難を伴う。日本の研究動向は史料実証主義の傾向を強めるのに対し、アメリカの政治学は非歴史的志向を強め続け、またアメリカ歴史学においては政治外交分析が下火になっており、これらが相まって新たに登場する英語文献の数は以前より確実に減っている。
 この状況を踏まえつつ、アメリカでの在外研究の機会を活かして、日米双方の一次史料に基づき、1930年代の日本政治史・日米関係史を再検討することが、本研究の目的であった。

 

2.研究成果、研究で得られた知見
(1)政党内閣の確立過程と崩壊過程の比較分析枠組み
 本研究期間中には、1900~10年代の確立過程と1930年代の崩壊過程を同一視角で分析するための理論枠組みを精緻化することに多くの力を注いだ。両期間とも、分立する行政府と立法府を複数の政治主体が協調して統治すること、特に国家財政の制約を統治主体間で共有することが要請された共通性を見出せる。その背景には、アメリカで金融危機が共通して発生しており(1907年、1929年)、また経済的後進地域である東北地方での凶作などの克服が中央政府の政治課題となった共通点もある(1902、1905、1913、1931、1934年)。これらの因果関係を整理することで、安定と崩壊の分岐点をより鮮明に析出できると考えられる。

 

(2)アメリカの戦前日本研究の潮流
 本研究期間を通じて、アメリカの日本研究の動向に触れる機会を多く設け、現在の戦前日本研究の潮流を把握することに努めた。冷戦期(とくに日本脅威論が高まった1980年代)の日本研究と異なり、現在の日本研究は歴史分析に特化しにくい状況にあり、台頭する中国との関係や、テロリズムや移民といった国際問題との連関を強調して、その歴史的背景を探る構成を整える必要があるように見える。それゆえに1930年代の日米関係に特化した歴史研究を生産することは必ずしも容易ではなく、戦前日本の研究を実施する際には、人種・民族・ジェンダーといった現在の米国の社会的争点と比較しやすい側面が強調される傾向を見出せるように思われる。

 

(3)吉野作造の政治史講義を通した国際比較分析の観点
 1930年代の政治過程を政党内閣の崩壊として見る視角は、戦後において1920年代の政党内閣期の価値を再評価する意見が強まったことを前提としている。その知的文脈において戦後に再注目されたのが、大正期に最も活躍した言論人である吉野作造である。彼の日本政治評論は、欧米諸国の政治史研究に基づいて行われており、その政治史の体系を再現する講義録を翻刻する共同研究の成果を発表し、関連して吉野作造の現代的意義づけを再考する文章等を公表した。これは1930年代の日本の政党内閣の崩壊を国際比較の観点から考察する重要な基礎作業になったと考えている。

 

3.今後の課題、見通し
 本研究は、複数年プロジェクトの初期段階にあたり、基礎的な史料や文献の調査収集を実施しつつ、理論枠組みを整理する作業が中心となった。近年のアメリカの研究潮流において、1930年代の日米関係史は必ずしも隆盛ではないが、F.D.ローズヴェルト政権期の史料はきわめて膨大に存在し、それらを追跡した歴史分析の成果を発信するためには、今後も時間をかけて調査を継続することが不可欠であると実感できた。デジタル技術を通じた史料調査の可能性もさらに追求しつつ、これから本研究の萌芽的成果をさらに発展させていく所存である。

 

2016年5月

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