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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2014年度

米国深南部州における一党優位制の崩壊と再編
― 州知事と大統領による体制境界統制の政治 1964-1984年 ─

ジョンズホプキンス大学大学院政治科学科 博士課程候補生
平松 彩子

 全国大で民主主義体制が成立する一方で、国内一部地方に権威主義体制が存続し、国内に二重の政治体制が並立する例がある。すでに比較政治学およびアメリカ政治発展論の文脈において、このような権威主義体制を残した国内一部地方を「権威主義体制の飛び地」と定義し、「飛び地」の形成、全国大の民主主義体制の中での存続、崩壊と民主化過程について、理論化と実証研究が重ねられてきた。この先行研究を踏まえ、本研究は「権威主義体制の飛び地」が民主化後いかに全国大の民主主義体制に統合され定着するのかを明らかにすることを理論的研究課題として設定した。事例に連邦公民権法成立後の米国深南部アラバマ、ジョージア、サウスカロライナの三州を取り上げ、1964年から1980年にかけて、大統領候補指名をめぐる全国政党制度改革、大統領府による三州への政党人事介入、また知事による大統領選出馬という民主化の定着過程を通じて、深南部三州の知事がそれぞれ異なった方法で全国政党への影響力を獲得した過程を明らかにした。
 米国南部州は、19世紀末から20世紀中葉にかけて民主党一党体制が敷かれ、人口の三割程度を占めた黒人の公民権を剥奪し、政治参加をごく一部の白人に限定した。民主化以前の南部州は民主党一党体制をとっていたにもかかわらず、南部州出身の政治家が民主党大統領候補に選ばれる、ないしは実際に大統領職に就いた例は、1963年11月にリンドン・ジョンソンが大統領職を引き継ぎ、翌年の民主党大会で候補者公認を得るまで、およそ一世紀の間存在していなかった。アメリカの場合、民主化以前の「飛び地」と全国大の民主制の間に次のような関係性が成立していたと考えて妥当であろう。「飛び地」の政党代議員は中央政府からの民主化圧力と直接介入を未然に防ぐために、「飛び地」の存続を容認する大統領候補を全国民主党大会において支持した。「飛び地」の政党代議員は、そのような候補者を推薦することはできたが、南部票は全国代議員の多数に満たなかったため自らが大統領候補に名乗りを上げ民主党の公認指名を得ることはできなかった。「飛び地」の自治は、大統領による不介入、さらに連邦議会常設委員会委員長職を年功序列制で任じた議会民主党内の制度、また南部州民主党の組織的弱体性という、ニューディール体制の特殊な制度のバランスの上に成立した。
 民主化後に「飛び地」が瓦解すると、上記の全国大民主制との関係に変動が生じ、1976年大統領選挙に至ってはジョージア知事経験者のジミー・カーターが民主党大統領として当選した。本研究は、この間の民主党制度の変動を三州と中央の政党幹部の資料を用いて具体的に明らかにすることを目的とした。サントリー文化財団の助成を受けて、2015年5月に、ジミー・カーター大統領図書館、ジョージア州立公文書館、およびジョージア大学、オーバーン大学(アラバマ)、クレムゾン大学(サウスカロライナ)の各特別資料館で調査を行った。他の大統領図書館等ですでに行った調査結果と合わせて研究で得られた成果を、2015年6月の日本比較政治学会で報告した。また2016年6月のPolicy History Conference(テネシー州ナッシュヴィル)でも報告する予定である。
 研究で得られた知見は、次の三点にまとめられる。第一に大統領および全国民主党は、州政府公職候補選定および政党組織に関して民主化後の州民主党に次第に介入するようになった。第二に州知事は党中央の介入および指令に対して、自らの権力基盤を強化する場合にのみ従った。第三に、三州の知事はそれぞれ全国民主党への新たな影響力を獲得したが、その地元における権力基盤の存続は、各知事の州民主党組織との関係により多様であった。アラバマは知事ウォレスが第三政党および民主党大統領選挙キャンペーンに出馬し続けたため、共和党および民主党の中央幹部は常にウォレスの封じ込めに追われた。アラバマにおいて二〇世紀初の共和党知事が当選したのは、ウォレスの政治からの引退直後の1986年のことであった。サウスカロライナは州民主党幹部が全国政党役職に任命されたが、全国民主党の支持にそれまで回ってきたバーンウェル派指導部が1970年代はじめに州内で実権を失うと、1974年には共和党知事が当選した。ジョージアでは、全国民主党代議員選出過程の改革でリーダーシップをとった知事ジミー・カーターが、1970年代前半の全国民主党委員会改革に加わり、ついには深南部州出身として初の大統領に就任した。しかし経済および外交両面での危機が続く中、同時期に並行して起きた連邦議会民主党内の制度改革により、カーター政権の運営は難航を極めた。地元ジョージアでは初の共和党知事の当選は2002年であり、他の二州と比較して遅く、競争的二大政党制が形成された。
 1964年以前の「飛び地」が全国政党から切り離された政治的・経済的後発地域であり、早くは1940年頃から独自の民主化の過程を辿っていたとする先行研究と比較して、上記の知見は今日のアメリカ二大政党が「全国化」した過程と解釈を考察する研究に大きな貢献をなしえるものであると考えられる。以上の内容はPhD論文としてジョンズホプキンス大学大学院政治学科に提出される予定である。

 

2016年5月

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