成果報告
2014年度
世紀転換期ニューヨークの発展と文学的想像力
- 東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程4年
- 坪野 圭介
・研究の動機
19世紀から20世紀の転換期に、ニューヨークは急激な発展を遂げて世界に類を見ない大都市となった。電気、電話、地下鉄、摩天楼など、新たなテクノロジーが瞬く間に生活者の時間・空間を変貌させた。その劇的な変化は、人々が持ちうる想像力そのものにも大きな影響を与えた。生活そのものに対する意識はもちろん、時空間へのビジョン、自己と環境の関係性に対する認識、都市空間の理想像・未来像までを、一気に更新させるのに十分な変化であったはずである。そうした想像力は、歴史資料の実証的な研究だけからでなく、当時の都市において書かれた物語や詩の分析をも含めた研究によってこそ検証しうるものだろう。
一方、同じ時代のアメリカで、自然主義文学という潮流が生じていた。アメリカ自然主義文学の誕生とアメリカ大都市の発展とを密接に関連づけた先行研究は数少ないが、ふたつの変化は同時代に起きており、また自然主義文学作品の多くがニューヨークなどの都市を舞台にしていることからも、両者には必然的な結びつきがあると考えられる。本研究はそのような仮定から出発して、都市研究と文学研究を、片方を他方の背景に落とし込むことなく相互に参照し合うことで、都市の発展と想像力の変遷を辿ろうとするものである。
・研究の意義と目的
文学において都市はつねに重要な主題であり続けているが、文学研究における「都市」は多くの場合、抽象的な装置として捉えられてきた。あるいは、都市への関心は、あくまで文学作品を構成する一要素としての範囲に限定されてきた。一方、都市を個別具体的に検証してきた都市研究のなかで、都市を描く文学(あるいは広義のフィクション)が占める地位はきわめて低かった。文学作品に描かれる都市は、都市学においては、物語のダイナミズムや叙述の技巧から切り離された、単なる史料として扱われてしまう傾向にあった。本研究は、両分野の知見を積極的に取り入れ、統合をはかることで、フィクションにおける表象とその詩学までを射程に含めた新しいニューヨーク像を描き出すとともに、具体的な都市の表象・歴史・社会的文脈を仔細にシミュレートしたうえではじめて成り立つ世紀転換期アメリカ文学像を提示することを目指した。
・研究成果
研究においては、この時代にニューヨークに出現した、都市の物理的なストラクチャーである「摩天楼」、「遊園地」、「地下鉄」などの成立過程や当時の状況を検証し、同時にこれらの構造物を同時代の文学作品がいかに物語内容のみならず作品のストラクチャーとして利用していたかを検討することで、広義の都市計画と文学表象に同質の構想力/想像力を見出してきた。
一例を挙げるならば、初期摩天楼を数多く設計したルイス・サリヴァンら建築家が残した文書と、摩天楼が実際に建ち並んだ様子を作家たちが捉えた表象とを相互に分析することで、アメリカで生まれた高層ビルが何を構想し、それが人々のどのような想像力を拡張させたかを検証することを試みた。サリヴァンは「形式は機能に従う」という有名な定言を残し、一見すると無機的な鉄筋高層建築の有機性・流動性・運動性を強調しようとしたが、カール・サンドバーグの詩「摩天楼」(1916)の内容/形式においても同種の原理が見出される。初期高層ビル建築が、形式性・装飾性よりも機能(なかみ)と形式(かたち)の一致を重視したことと同様に、サンドバーグも詩の主題として摩天楼の有機性を描きながら、形式においては伝統的な詩型や詩的言語を排し、都市に暮らす労働者たちの日常的な言葉づかいで詩を構成することで、内容(なかみ)と形式(かたち)の一致を目指した。
同様に、シカゴやニューヨークの摩天楼を描いた詩や小説を多数分析し、当時の建築雑誌のレビューや新聞記事と照らし合わせると、摩天楼という存在が、当時の都市利用者に対して新しい身体性・運動性を喚起していたことがわかる。それは、地下鉄やエレベーター、あるいは遊園地の観覧車にも通底する身体感覚であり、一言でまとめると、「技術(かたち)に身体(なかみ)を一体化させながら運ばれていく」という快楽であった。サリヴァンが目指した建築の有機性、文学作品の主題と構造、都市住民の身体感覚の分析を通して、アメリカ大都市の新しい想像力のあり方を浮かび上がらせることができたと考えている。
研究には、ニューヨークにおける資料収集・現地調査を含んだ。研究成果の一部は、日本アメリカ文学会全国大会、The International American Studies Association World Congress等で発表を行った。現在、研究成果をまとめた論文を複数準備中である。
今後の課題
本研究は19世紀から20世紀の転換期を対象とするものであるが、世紀転換期の都市で生じた問題系は、現在の都市へと直接つながっている。たとえば摩天楼は、その歴史の最初期に書かれたヘンリー・ブレイク・フラーの『クリフ・ドウェラーズ』(1893)やヘンリー・ジェイムズの『アメリカン・シーン』
(1907)から、映画として昨年公開されたロバート・ゼメキス監督『ザ・ウォーク』(2015)に至るまで、無数の表象において“monster”と形容され続けてきた。摩天楼を「怪物」にたとえる作家や都市の住人たちがそこに投影してきた肯定的/否定的なビジョンを考察することで、巨大建築物に囲まれた都市空間が孕む想像力の射程をより明確にできると考えている。現在との連続性を踏まえて研究を継続することが、今後の大きな課題である。
2016年5月