サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > 研究助成 > 助成先・報告一覧 > 19世紀における世界市場の形成とアジア

研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2014年度

19世紀における世界市場の形成とアジア
― 物価史的研究 ─

政策研究大学院大学 客員研究員
小林 篤史

研究の動機・意義
 国際経済史の通説では、19世紀初頭以降、イギリスを中心とした国際貿易の拡大に伴って世界的な価格収斂が進行し、国際分業体制が形成されていったとされる。この世界市場の形成を牽引したのは西洋主導の交通・通信革命、金融ネットワークの拡張、そして植民地化であったというのが従来の認識である。しかし、アジアの側からみたとき、果たしてこの認識は正しいのか。1980年代以降に活発な議論が展開されるようになったアジア経済史は、19世紀後半以降に、アジア人商人の活動や固有の通貨システムの機能によって、アジア域内貿易の発展が起こったことを明らかにしてきた。さらに、最新の研究は、西洋の進出が本格化する以前の18世紀末から、アジア各地で域内貿易の形成と拡大が起こっていたことを論じている。つまり、19世紀のアジアには世界市場に接続しながらも、それに完全に従属しない自律的な地域市場が存在した可能性が示唆されるのである。これが正しければ、世界市場の形成は、西洋の拡張とアジア地域市場の発達との相互作用に基づいたといえるのではないだろうか。この論点を確かめることは、アジア経済史のさらなる進展に貢献するだけでなく、これまで西洋経済を中心に考えられてきた国際経済史に対して、アジアの視点から再考を促すことが期待されるのである。

 

研究の目的
 以上の課題にこたえるために、本研究は19世紀における世界市場の形成においてアジア地域市場が果たした役割を、物価史的視点から明らかにすることを目的とする。具体的には、19世紀前半から中葉にかけてのアジア各地の主要な貿易港の貿易物価指数を新たに作成し、それを用いてアジア地域市場と世界市場の関係を分析する。本研究が用いる物価データからは、複数の市場における物価の連動性を測る構造的な分析と、長期間にわたる物価動向から市場の景況を捉える通時的な分析が可能である。その組み合わせから、19世紀にアジア各地域の市場はいかなる構造を有し、そこでは時系列で景況がいかに連動していたのか、そして、アジアの市場は世界市場とどのような関係にあったのか、といった問題を定量的に検証する。そして、物価史から得られた定量的観察に対し、貿易構造、商人ネットワーク、そして貨幣流通といったアジア経済史の蓄積から説明を加えることで、地域市場の発達を包括的に議論する。

 

研究成果
 本研究の第一の成果は、19世紀のシンガポールの貿易物価指数を作成し、その貿易成長の要因を物価の側面から明らかにしたことである。新たに作成した貿易物価指数からは、シンガポールの貿易は1830年代から1913年まで継続的に成長しており、その要因として19世紀中葉からのシンガポール市場とイギリス市場の連動による国際市場の形成があったことが分かった。第二の成果は、19世紀のシンガポールとイギリスとの市場統合に果たした国際通貨システムの機能を明らかにしたことである。金本位制のイギリスと銀貨を通貨としたシンガポールとの間の貿易決済は、金と銀の価値を調整する国際複本位制をベースに行われ、その通貨システムにおいてシンガポールは東南アジアのハブとなっていたことが分かった。以上の二つの成果からは、少なくともシンガポールでは、イギリス主導の世界市場が本格始動したとされる1870年以前から、独自の市場と通貨体制の発達に基づく貿易成長が起こっていたことが判明した。第三の成果は、1800年から1870年のイギリス領インドの貿易統計を収集し、その貿易の趨勢と構造を解明したことである。インドのベンガル管区、マドラス管区、ボンベイ管区の貿易は1800年から1870年にかけて増加傾向にあり、その貿易構造は宗主国イギリスだけでなく、東南アジアや中国との貿易、そしてインド域内貿易(ベンガル管区とマドラス管区の間など)にも重点を置いていたことが数量的に把握された。アジア経済史が提示してきたアジア域内貿易の重要性が、インド貿易においては19世紀初頭から見いだされることが分かった。

 

今後の課題
 第一の課題は、1800年から1870年にかけてのインドの主要港ベースの貿易物価指数を作成し、その貿易成長の要因を価格面から分析することである。その分析によって、インドの3管区の貿易成長が、イギリス主導の世界市場の拡大によって実現したのか、それともインドの市場自体の変容も重要な役割を果たしたのかを明らかにする。第二の課題は、シンガポール、インドに続いて、19世紀の中国市場、特に貿易中心地であった香港の市場の発展を物価データから検証することである。これによって、19世紀のアジアの市場発展の全体を捉えることが可能となり、世界市場の形成におけるアジアの役割が明らかになると期待される。以上の二つの課題に取り組むための一次資料は収集済みであり、そこからデータを抽出・整理・分析していくこととなる。

 

2016年5月

サントリー文化財団