成果報告
2014年度
編年確立を目的とする中央アジア諸国で出土した漢鏡の調査
- 国立文化財機構奈良文化財研究所 アソシエイトフェロー
- 大谷 育恵
●研究の動機・背景
20世紀初頭に内陸アジアでの考古学調査が本格的に開始すると同時に、ユーラシア各地の遺跡において、絹織物、漆器、銭貨、鏡といった中国系の文物が出土することが明らかとなった。これら中国系の文物は、いわゆるシルクロードを通じて中国から持ち運ばれたものであり、東西世界の交渉を示す資料として注目されてきた。
中でも中国製の鏡である漢鏡は、鏡背面の文様や銘文から細かな分類を行うことが可能であり、文字によって記載された実年代資料が乏しいユーラシアの草原地帯においては、遺跡の実年代を推定できる資料としてその重要度は非常に高い。しかしながらその資料化と分析は、中国考古学の観点からすると十分ではないという問題がある。一方で東洋関係の考古学研究者にとっては、中央アジア諸国の資料は報告事例が少なく、またその報告もロシア語あるいは近年は中央アジア各国の現地語でなされるため、検討が難しいという問題がある。加えて、ソ連崩壊に伴い中央アジア諸国は独立したが、その結果として出土資料が各国の機関に分散して所蔵されることとなり、また新たな出土資料を加えた域内における総合的研究の試みもみられないのが現状である。
●研究の目的
本研究は中央アジア諸国の遺跡で出土した中国鏡の調査を行い、同地域の遺跡の年代の指標となる編年を作成しようとするものである。調査対象国は、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンの4ヶ国と、旧ソ連時代に調査隊を派遣していたロシアを加えた5ヶ国である。本研究では、基礎データとして各国研究者が参照できる集成資料の作成と公表を目標にしている。
●研究成果と見通し
本助成金を利用して、中央アジア諸国で出土した漢鏡の調査を3回に分けて実施した。カザフスタン・キルギスタン調査(2016年2月6日~2月15日)、ウズベキスタン調査(2016年3月4日~3月12日)、ロシア調査(2016年3月27日~4月4日)の合計3回である。これまでの報告では、鏡が出土したという記述のみで写真や図の公表がないものや、あるいは掲載があっても型式を特定するには不鮮明なものが多い。そこで現地調査では、鏡の実見と併せて、写真撮影や図化などの画像化作業を可能な限り行なった。
それらの成果は、現在作成中の研究論文「疆外出土の漢鏡集成(2):中央アジア」で公表する予定である。基礎研究となる集成資料の提示部分では、実地調査で収集した画像資料を掲載すると同時に、各鏡1点ごとに中国考古学の観点から銘文の釈読、型式分類、6期に時期区分した年代など基礎的な情報を提示する予定である。
中央アジア諸国で出土した漢鏡の年代とその歴史的背景について予察的に述べておくと、中央アジア諸国で出土した漢鏡の型式は、いずれも漢鏡Ⅲ期(BC1世紀前半)とそれ以降の型式の鏡に限られることが明らかとなった。その理由としては、漢の武帝による対匈奴積極策によって漢と匈奴の形勢が逆転し、河西回廊に中国の政治的勢力が及ぶようになったことが背景にあると考えている。
河西回廊は現在の甘粛省西部にあたり、モンゴル高原南部の砂漠と青海の北縁の禧連山脈にはさまれた狭隘な緑地帯で、西域へとつながる交通の要衝にあたる。漢は元狩2年(BC121)に匈奴西部の渾邪王を破り、河西へと進出を開始する。続いて河西回廊に漢の郡県が配置され、中国と西域、そして中央アジア諸国との直接交渉が始まるのがこの時期であり、中央アジア諸国で出土する漢鏡の年代観と政治情勢の変化が一致する様相が明らかになったといえるだろう。
2016年5月