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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2014年度

戦後日本の嫌芸術意識

東京藝術大学 教育研究助手
太田 智己

 本研究では、戦後の日本における“嫌芸術意識”の形成と展開の過程を明らかにした。ここで“嫌芸術意識”とよぶのは、芸術を経済的に無益とみなしたり、理解できない不要なものとみなし、嫌うような、大衆・庶民の意識である。本研究はこの嫌芸術意識を、主に大衆・庶民むけの週刊誌の芸術記事を分析することで考察した。

 こうした嫌芸術意識を本研究で扱うのには、次のような理由がある。2010年代に入ってから、芸術を取り巻く社会状況には、大きな変化が起こっている。芸術を、庶民離れした実用性の無い権威として批判する、政治家・首長らの言行がとりわけ目立つようになった。そしてそれに同調し、芸術に不審・反感を示して、税金投入などを否定する嫌芸術的言説が、テレビ・ツイッター・BBSといった、大衆・庶民に身近なメディアで、際立って表面化するようにもなっている。これは芸術にとって、ゼロ年代の経済不況下で、文化芸術予算が削減された行政レベルでの危機とは異なり、より本質的で根の深い、社会レベルでの新たな危機といえる。このような状況下、今後の芸術と社会(大衆・庶民)の関係を考えていくには、こうした嫌芸術意識がどのような歴史的経緯で醸成されたのかを、知っておく必要がある。

 だが、嫌芸術意識というネガティヴで卑俗ともいえる庶民・大衆の意識を、学術研究の対象にしようとする試みは、これまで本格的には行なわれてこなかった。たしかに、芸術と社会の関係は、文化政策学や芸術環境創造論、また、美術史や文学史などでも扱われてきた。しかし、いずれも庶民・大衆に芸術を啓蒙する、行政・文化人の側に立ち、それをポジティヴに行なう状況を前提とする研究が多い。庶民・大衆の側に立ち、彼らが実際に持っているはずの、芸術へのネガティヴな反感を考察する研究は、進んでいないのが現況である。本研究は、そうした卑俗な庶民感情である嫌芸術意識を、学術研究の対象として、初めて本格的に扱うことになる。

 たとえば、1965年の『文藝春秋』に掲載された論説「大衆をバカにするな」は、嫌芸術意識を示す、典型的な論説である。同論説で扱われるのは、東京オリンピックの記録映画として制作された、市川崑監督の『東京オリンピック』である。そして同映画を、芸術性が高い反面、一般大衆には難解で理解ができない、庶民にとって無益なものとして批判する。誌面では、タイトルの「大衆をバカにするな」の左脇に、「芸術家気取りの連中が、変なオリンピック映画をつくってしまった」とも書かれている。この論説から確認できるとおり、日本では少なくともすでに1960年代には、こうした嫌芸術意識がメディアを通じて流通していた。これらの歴史的な醸成経緯を追うことは、近年の嫌芸術意識を理解するために重要な前提となるはずである。

 そこで本研究の目的は、戦後の日本における嫌芸術意識の形成と展開の過程を明らかにすることとした。研究では嫌芸術意識を、大衆・庶民むけの週刊誌に掲載された、芸術関係記事の言説分析を行なうことで考察した。具体的には、『週刊朝日』『サンデー毎日』『週刊新潮』『週刊文春』『FOCUS』などの芸術記事である。

 本研究は今後、次の3点を軸に継続させたい。第1に、日本の近・現代(戦前・戦後・現在)における嫌芸術意識の成立・展開の過程を総括し、まとまったかたちで公開することである。第2は、嫌芸術意識を発信する基盤となった、週刊誌・大衆雑誌の芸術記事を目録化し、公開することである。これは現在、2017年度までの予定で受給中の、科学研究費補助金研究課題「近現代日本における嫌芸術意識の成立と展開」(若手研究(B))で準備中である。そして第3に、他分野の研究との接続である。たとえば嫌芸術意識は、人文知や知識人への反感である反知性主義の芸術版ともいえる。両者は地続きと思われ、本研究が反知性主義の研究と接続できることも見込まれる。実現を模索したい。

 

2016年5月

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