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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2014年度

日本都市の伝統的な基層の解明に向けた「闇市学」の創成

東京大学大学院工学系研究科 助教
初田 香成

1.研究目的
 本研究は第二次大戦直後に現われた闇市を、災害を契機に潜在していた都市の基層が発現した都市のある種の普遍的活動と位置づけ、第一に全国の実態を網羅的に把握し、第二に下記の学際的論点の解明により日本都市の特質を再発掘・再構成することで新たな学問領域を開拓しようとするものである。ここでの都市の基層とは特に高度成長以降、表層から失われたものの通奏低音として都市を規定してきた伝統的要素を指す。
 戦前に遡る闇市の伝統的な基盤:①伝統的に露店市で営業者を差配してきたテキ屋など闇市の組織主体、②在日外国人・引揚者といった闇市の営業者、③小売市場など市場型の建築や施設の闇市への連続性、④路上や水上などの公共空間や寺社境内といった営業地が提供される際の論理
 闇市がその後の都市に与えた影響:⑤営業者の社会階層・社会移動、⑥焼肉・飲み屋など闇市由来の食文化、⑦電気・繊維問屋街など闇市由来の商業地形成、⑧闇市横丁の現代的再生、⑨GHQの影響


2.研究の成果および進捗状況
 2014年度は上述の第一の目的を中心に闇市の全国の実態を網羅的に把握しようとした。具体的には戦前の市制施行都市(全210都市)のうち人口5万以上の都市に、4.5万以上の鳥取、米子を加えた100都市を対象に県史、市史を総覧した。
 以上の作業からは100都市中少なくとも77都市に闇市が存在したことが確認できた。ただ明らかに闇市が存在したのに自治体史に記述がないものもあり、他資料で確認できたものを加えると83都市に、地元博物館などへの問い合わせ結果を加味するとさらに多くの都市に存在していた。地方別にも満遍なく分布し、また、当初、焼失地の多い戦災都市に闇市は多く発生したのではないかという仮説もあったが、戦災の有無に関係なくほぼ同じ割合で闇市は発生していた。主な立地場所としては、駅前および駅周辺、市街地の主要街路、疎開空地があり、ついで港周辺、河畔、神社、橋周辺、公園、焼け跡の公有地など、特殊な立地も見られた。
 露店市場およびマーケットの成立に際しては、自治体の関与に応じて黙認、事後的公認、公認、公設などの段階があり、自治体や警察が斡旋した事例も見られた。また、その後の移転撤去などの変容に際しては、GHQ指令および露店営業に関する条例にもとづくもの(1946年8月1日の全国的な取締り「八一粛清」によるものが多いが、露店が長く存続した例もあるなど各自治体の裁量によりその後の展開は多様であった)、戦災復興都市計画事業によるもの、その他火災などが契機となっていた。
 以上よりこれまで東京の都心部を中心に一部の個別事例の解明にとどまりがちだった闇市について、全国的な状況を初めて明らかにし、立地や自治体の関与などの指標からその多様性を確認することができた。なお本内容は既に日本建築学会2015年度大会学術講演会に三編の梗概として投稿している。


3.今後の課題
 今後は以上の多様性の背景にあった都市ごとの要因や、各事例の相互関係を明らかにすることが課題である。具体的には各闇市の組織主体、成立時期のずれなどからモデルの伝播の可能性、また、闇市が成立しなかった都市をつきとめることから逆に闇市の成立根拠を解明することなどがあげられる。
 また、次年度の中心課題となる上述の第二の研究目的についても、日本史、民俗学分野の研究者を招待し①、②、④の論点について意見交換を行ったほか、研究分担者が計七回の研究会を通じて各自の発表を行い、関西の闇市跡地を踏査するなどして、適宜、研究を進めている。



2015年9月

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