成果報告
2014年度
グローバル・ヒストリーとしての「失われた20年」
- 国際日本文化研究センター 教授
- 瀧井 一博
本研究は、バブル崩壊後の日本社会を形容する標語として国際的にも定着した「失われた20年」について、その実態と展望をグローバルな視野で検討し、日本社会が直面している歴史的転換点の実相を見極めることを課題とした。助成期間中に5回の研究会を行い、歴史学、政治学、社会学、経済学といった学際的な観点から議論を深めた。また、最終研究会は、国際シンポジウムのかたちをとり、文学や思想史といった人文諸学の研究者の参加も得て、より包括的に「失われた20年」の社会変容の諸相について考察することができた。
一年間を通じての研究会で得られた知見を研究代表者の問題関心に即してまとめておけば、次のようになる。まず、研究会では、「失われた20年」という語り口に対する懐疑が随所から提起された。共同研究者のゴードン教授の精緻な考証により、その由来が1998年ごろにウォールストリートにおいて日本の金融市場の閉鎖性を揶揄する言説にあることが明らかにされた。「失われた20年」とはしたがって、外来のレッテルであり、日本社会のこの間の変容を表すコンセプトとしては、常にカッコつきで用いられなければならない。
その認識を前提として、日本を取り巻く内外の問題状況に対する多角的な分析が、一連の研究会で行われた。特に日文研での国際シンポジウムでは、メディア学や海外の日本学研究者から、「失われた」とは裏腹に、21世紀に入ってからの日本文化の高揚という世界的現象が指摘され、また現代思想の立場からは、「失われた」という場合の主体があくまで国民国家としての日本であることに批判の声が上げられ、東アジアという地域や列島各地のローカルな視点の重要性が唱えられた。そして、日本社会を理論化する必要性が論じられ、Global Knowledge-generating Mechanismという魅力的なコンセプトも提示された。
確かに、日本社会の現代的変容を「失われた」という符牒によって単純化するのは、かえってその実情を見えにくくし、各所で生起している生産的な活動を捉え難くする。他方で、このかんの日本社会が明らかな虚脱感や逼塞感に陥っていることも一般レベルの生活感情として否めない。その起因として挙げらるのは、少子高齢化、格差の広がり、環境・エネルギー問題といった社会問題であるが、それらはそもそもグローバルに共有された問題でもある。「日本」という問題群を理論化し、グローバルな知識創造の発信地となり得るか否かという転換点にわれわれはさしかかっている。
以上の点を踏まえ、今後は、積み残された課題の検討を進める。特に、ジェンダーの問題、教育の問題、安全保障の問題は当初からその重要性が認識されていたが、本年度中は十分に考察できなかった。これらの問題は、今年11月にハーバード大学において本研究テーマにもとづく国際シンポジウムの続編が挙行されるので、そこで討議の場を設ける。そして最終的には、本研究会の成果を研究論集として書籍化したい。そのために、さらに一年間、論集編纂を目的とした研究会の開催を計画している。
2015年8月