成果報告
2014年度
東アジアにおける大衆的図像の視覚文化論
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ポスターに見る大衆の欲望 ―
- 同志社大学文学部 教授
- 岸 文和
(1)研究の進捗状況
日本の「大衆」は、大正から昭和初期にかけて、都市化の進行と教育の普及を背景にして誕生した。「新中間層」と呼ばれるサラリーマンや労働者、職業婦人などの一般勤労者によって構成された社会集団がそれである。その文化は、出版の普及を中心とするマスメディアの活性化を特徴とするが、ポスターはその文化を象徴する視覚メディアである。というのも、およそ大正8年[1919]から大正10年[1921]にかけて急激にその数を増やしたポスターは、特定の商品/サービス/行動を魅力的なものとして表象することにおいて、大衆の欲望を目に見える形として提示するからである。本研究の目的は、この時期に制作されたポスターが、どのような商品・サービス・行動を、どのようなテクスト/イメージ的レトリックを採用することによって、どのような魅力をもつものとして表象しようとしたかを分析することで、日本の大衆が抱いていた欲望の内実を明らかにすることにある。
日本のポスターの収集・調査・研究は、近年、国内外で急速な進展をみせている。そこで、本研究は、ポスター研究の最前線で活躍する若手研究者を中心として、国際シンポジウムを開催し、広く東アジアにも視野を広げて、視覚文化論の枠組みからポスターを分析することを試みた。2014年度には、香港、台湾、韓国、アメリカから計6名、日本国内から計8名の研究者を招請し、大正イマジュリィ学会の全面的な協力を得て、3回の国際シンポジウムを開催した。なお。本研究を遂行するに当たって、研究者が共有した方法論的な視点は次の4つである。すなわち、「大衆」が成立した日本の大正・昭和期のポスターを、孤立したモノとして把握するのではなく、第1に、一定の状況(注文主/制作者/仲介者/受容者/歴史的・社会的・文化的コンテクスト)の内部で機能するメディアとして多元的に把握すること、第2に、他の大衆的図像(装幀/挿絵/グラビア写真/雑誌広告/新聞広告/絵はがき/商品ラベルなど)との水平的関連(類似性/差異性)を視野に入れること、第3に、雅/俗(ハイカルチャー/サブカルチャー、伝統/新興)の対立と融和という垂直的な文化力学を考慮すること、第4に、東アジア(中国/台湾/韓国/日本)という同時代の異文化コンテクストを参照することである。
(2)研究で得られた知見
2014年度に3回の国際シンポジウムを開催することによって得られた知見は、多岐にわたる。個々の知見を具体的に説明することはできないので、上記の4つの視点について、次のような事柄を認識することの重要性が改めて確認されたことを記しておく。すなわち、第1の点では、企業の「注文主」としての役割とともに、「萬年堂」(大阪)や「日本電報通信社(電通)」などの「制作者」「仲介者」の役割(取次業/代理店)を実質的に理解すること、第2の点では、新しいメディアである写真が広告図像において担っていた機能を前景化すること、第3の点では、前近代の東アジアで共有されていた雅/俗二元性(山水画/花鳥画、文人/女性)の中で育まれた吉祥図像が表象する幸福(福/禄/寿)との関連を認識すること、第4の点では、東アジア(日本/中国/台湾/朝鮮)の文化圏において、同一の日本製商品が異なった表象によって広告・宣伝されていることに注目することである。
(3)今後の課題
2015年度は、特に第4の点に注目して、新たに3度の国際シンポジウムを開催し、5つの商品/ブランド(津村順天堂の中将湯、森下博薬房/森下仁丹の仁丹、中山太陽堂のクラブ化粧品、壽屋の赤玉ポートワイン、鈴木製薬所/鈴木商店の味の素)の新聞/雑誌広告とポスターに絞って、東アジア諸国での事例を博捜し、相互に比較し、広告手法を分析することによって、それぞれの文化圏の大衆が抱いていた/大衆に押し付けられた《幸福》――広告図像が直接/間接的に表象する理想的状態(商品を購入することによって達成される)――の類似と差異を明らかにすることを試みる。最終的には、国際シンポジウムでの発表をまとめた論文集を、大正イマジュリィ学会と協力して刊行する予定である。
2015年8月