サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > 研究助成 > 助成先・報告一覧 > イスラーム債権法の国際的影響に関する比較法的考察

研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2014年度

イスラーム債権法の国際的影響に関する比較法的考察

東北大学大学院国際文化研究科 准教授
大河原 知樹

研究の主目的
 本研究は、オスマン帝国が19世紀半ばに制定した民法典(メジェッレ。以下M法典)の国際的影響を分析することを目的とする。具体的には、M法典以来中東において制定されてきた債権法と旧日本民法、現行民法ならびに西洋法の債権法とを比較する。従来の研究では、中東諸国の現代法やイスラーム金融については、イスラーム法または近代法いずれかの影響のみが検討され、比較法的ないし学際的視点を欠いてきた。これに対し、本研究は、イスラーム法を含む伝統法と、主として植民地期に移入された西洋法に基づく「中東法」というモデルによって、M法典およびその影響下の債権法の特質を比較法的に明らかにしようとするものである。


研究グループの構成・研究経過
 本研究グループは、イスラーム法を専門とする者(1名)、イスラーム法廷および地域研究(アラブ、トルコ、中央アジア、ロシア、イラン、マレーシア)を専門とする者5名、日本民法を専門とする者(1名)、比較法を専門とする者(1名)に加え、現役弁護士(3名。すべてアラビスト)が中核メンバーとなり、ほかにも数名の研究者が参加する研究体制を整えた。
 本研究ではM法典のうち、比較的条文の少ない第3篇(保証)の試訳を作成し、上記メンバーが中心となって、それぞれの専門の立場からコメントを加え、討論を実施する形式で研究を進めた。期間中、月1回、全体で9回の研究会を開催した。研究会の前後には、メールを回覧し、問題点について討論した。
 研究にあたり、これまでに既に検討したM法典の他の部分(序篇、第1篇ならびに第2篇)の訳語を今回訳出・検討した第3篇と整合性をとりつつ、M法典注釈・各種言語による訳文、現代中東法の条文などと比較した。結果、期間内に第3篇の条文すべてを訳出し、検討を終了した。
 研究の総括では、M法典独特の特殊な文章構造について包括的に整理し、検討した。また、期間内には、1920年代に英委任統治下のパレスチナで作成されたM法典ヘブライ語訳を入手し、本邦最高裁判所図書館所蔵の旧イラン民法典の邦訳を調査した。


本研究で得られた知見
 本研究では、保証を中心としたM法典と中東法、旧日本民法、現行民法ならびに西洋法との共通点および相違点を明らかにした。M法典の保証規定は、古典イスラーム法をベースに制定されているが、M法典が中東法に影響を与えたと思われる事例として、UAE(アラブ首長国連邦)民法に注目した。UAE民法第1078条(保証債務の請求)等の条文は、M法典との強い類似性を示唆する。UAE民法は「マーリク派およびハンバル派の考えに従う」(第1条)と規定するのに対して、M法典を制定したオスマン帝国の公式法学派はハナフィー派であることを考えあわせると、2つの法典における条文の類似性は非常に興味深い。さらに、このような事例は、マレーシアの前身であるマライ連邦(シャーフィイー派が多数を占める)で制定されたマジャラ・アフキャム・ジョホル法典においても観察される。したがって、20世紀以降、イスラーム世界の各国が、イスラーム法をベースとして法典を制定するにあたり、M法典を幅広く参照していた可能性がある。これは、今後この分野で研究を進める際に押さえておくべき重要なポイントと思われる。
 ただし、現代中東法のすべてがM法典の影響を色濃く受けているわけではないことも明らかとなった。たとえば、抗弁権(相手方の請求権の行使に対し、その請求権の効力の発生を阻止し請求を拒絶することのできる他方当事者の地位)に注目すると、M法典はこれを認めないと思われるが、現代中東法では、エジプトを始めとする各国が検索の抗弁権(債権者が保証人に債務の履行を求めた場合、保証人は、まず主たる債務者の財産について執行せよと抗弁することができる権利)と催告の抗弁権(債権者が保証人に債務の履行を求めた場合、保証人は、まず主たる債務者に履行を催告せよと抗弁することができる権利)の両方を認めている。これは、日本旧民法および現行民法の規定と同じである。しかし、西洋法では、フランス、ドイツなどを始めとして主な国は検索の抗弁権しか認めていない。こうした事実は、中東各国が、民法制定にあたり、西洋法のみならず広く世界の民法をも参照していた可能性を示唆する。安易な二分法にとらわれることなく、緻密に法を比較しつつ研究を進めることの重要性が今後さらに高まると思われる。


 


2015年8月


サントリー文化財団