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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2013年度

サミットにおける政治問題の協議と日本外交
― 1978年ボンサミットの航空機ハイジャック対策声明 ─

日本原子力研究開発機構核物質管理科学技術推進部 博士研究員
武田 悠

研究の動機・目的・意義
 本研究では、1978年に西独・ボンにおいて開催された先進国間首脳会議(サミット)においてハイジャック対策宣言が発表された際、日本がどのような役割を果たしたのかを考察した。この宣言は1960年代末から頻発していた航空機ハイジャックについて、ハイジャック犯に協力した国との民間航空機の往来を禁止するという当時としては強硬な対策を表明したものであり、日本の福田赳夫首相が提案したとされている。そのため本研究では、この宣言の作成とその後のフォローアップの経緯を検討することで、当時名実ともに経済大国となっていた日本がハイジャック対策という重要課題においていかに国際的責任を果たそうとしていたのかを明らかにしようとした。
 この点に注目したのは、1970年代の日本外交に関する研究状況が理由となっている。高度経済成長を経て経済大国となったこの時期の日本外交については、特に日本外務省の史料公開が進んだことで近年研究が進展している。こうした研究によれば、日本はハイジャック対策のような安全保障問題を中心に、自らの国際的役割の拡大に消極的だったとされる。しかし本研究でとりあげるハイジャック対策宣言は、サミットが公式に宣言を出した初の政治課題であり、国際安全保障に関する問題を扱っていたにも関わらず、日本が提唱したとされている。それゆえこの問題で日本が実際に果たした役割を明らかにすることは、1970年代の日本外交に対する従来の見方を修正し、より積極的に安全保障問題に取り組もうとしていたという評価につながる可能性があると考え、今回研究課題として取り上げるに至った。


研究の結果
 既に収集していた英国の文書に加え、昨年度は米国の国立公文書館において文書を収集し、日本でも外務省に情報公開請求等を行った。その結果把握できたハイジャック対策宣言の作成とその後に関しては、特に以下の3点が興味深いものであった。
 第一に、この宣言のきっかけは確かに福田首相の発言であったが、それはハイジャック対策に関する何らかの意思表示が必要だという首脳間の昼食会での何気ない発言であった。日本政府はこれほど強硬な対策を実施する用意をしておらず、またこのサミットに向けた事務方の準備でもこの問題は何ら議論されていなかった。それでも強硬なハイジャック対策を模索していた加・米・英は福田の発言を取り上げて何らかの意思表示をする必要性を主張し、宣言は作成されるに至った。つまり日本が主導したとは言えない形で、いわば偶発的に作成されたのがこの宣言であった。ただし日本は、前年9月のダッカ・ハイジャック事件で犯人の要求を受け入れたために批判を受け、ハイジャック対策の強化を模索していた。福田自身もサミットのためボンに出発する直前、何か新たな対策はないか模索していた形跡がある。そして米英等も、1973年にはハイジャック協力国との民間機往来を禁止する同じ内容の条約を締結しようとして果たせていなかった。つまり宣言そのものは偶然であったものの、その背後にはこのようなハイジャック対策につながりうる要因がいくつもあったと言える。
 第二に、この宣言を実行するためのフォローアップ作業は作成作業以上に困難となり、日本はむしろこの過程で重要な役割を果たした。すなわち早急に実施するよう主張する英・加などと実施時の国際法上の問題を懸念する仏・伊の間に対立が生じた際、日本は宣言の実施を各国に委ねつつ対外的には実施で合意したと発表するという妥協案を推し、これが最終的に採用された。日本は政府内部にこの宣言の妥当性をめぐる対立を抱えつつも、先進国間の結束を保つという地味ながら重要な貢献を成した。
 第三に、この宣言は国際ハイジャック対策や冷戦との関係でも重要であった。最近の研究(例えばBernhard Blumenau, “The Other Battleground of the Cold War,” Journal of Cold War Studies, Vol.16, No.1 (Winter, 2014), pp.61-84)では、1970年代前半までのハイジャック対策が国際連合を主な舞台として試みられ、先進国は出来る限り参加国を増やそうとしたものの、東西対立・南北対立に阻まれたとされる。これに対し本研究は、そうした失敗に失望した一部先進国が有志国連合的な、実効性重視の取り組みを進め、新たに西側内部のいわば「西西対立」に直面したものの、それを苦心の末に乗り越えて国際協力を進めたことを明らかにした。


今後の見通し
 助成をいただいたことで、本研究に関する史料の収集と読み込みは昨年度1年間で終えることができた。今後は実施が遅れている関係者へのインタビューを行い、本研究の解釈の妥当性を改めて検討する予定である。その結果を取り入れた上で学会報告を行い、最終的には日本外交史(ないし国際関係史)に関する論文として学会誌に投稿したい。


2015年5月

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