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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2013年度

道徳認知における知覚の役割
― 哲学理論と脳内情報処理の研究 ―

日本学術振興会特別研究員PD
太田 紘史

 善悪や正不正が関わる局面において、人間の心はどのようなパターンで判断や意思決定を行うのか。またそのような道徳認知において、理性や感情はどのように相互作用するのか。そしてそういった人間心理に関する事実は、どのような道徳哲学的な含意を持つのか。このような「道徳心理学」と呼ばれる分野のなかで、本研究課題では、とくに人間の非推論的な心理過程に焦点を当てた研究を行った。とりわけ、非推論的な心理過程として知覚および直観がどのような因果的役割を担っているのかについて、経験的知見と哲学理論に基づいた総合的な考察を行った。
 これまでの道徳認知の研究ではしばしば、推論を介した道徳判断は理性的な心理過程によって担われており、また直観的な道徳判断は感情反応に基づいたものであると提案されてきた。これらのモデルを支持する経験的知見として、直観的な道徳判断に感情関連の脳活動が伴うという知見や、それが気分の操作によって左右されるという知見が存在する。
 しかし、感情という要因だけによっては、直観的な道徳判断にまつわる様々な現象を統一的に説明することはできない(とりわけ、情報の呈示順序や、情報の抽象性/具体性による影響など)。また一部の知見によれば、道徳判断の内容(功利主義的/非功利主義的)をコントロールした場合には、直観的な道徳判断に感情関連の脳活動が伴っておらず、むしろ知覚神経経路の賦活が認められる。これらの事実を統一的に説明するためには、知覚的な意図的行為の表象の存在を想定する必要があり、またそれは、知覚神経系の高次の段階(側頭-頭頂接合部や上側頭溝)に行為表象が位置するという独立の知見によっても支持される。
 さらにこの展望のもと、我々は道徳判断と意図性認識の相互作用に着目した。近年の心理学的知見では、ある行為が意図的なものであるかどうかの判断が、その行為が害悪をもたらしたものかどうかの判断に影響するだけでなく、その逆方向の因果作用が判明している。このような逆方向の因果作用は、価値判断に依存して事実判断を変化させているという点で不合理であるように思われる。しかしこのような因果作用は、意図性の知覚能力を反映しているのではなく、何らかのヒューリスティクスに基づいたものに過ぎないかもしれない。実際、高機能自閉症患者のような非定型発達者においても同様の相互作用が見られることから、むしろ意図性認識のうち知覚能力自体は、道徳判断に対して一方向的な因果作用を持っており、動機主義的な道徳判断を裏付ける経路を構成していると言える。
 このような仕方で非推論的な心理過程を理解することは、道徳認識論の観点からも重要な意味を持つと言える。我々の直観的な道徳判断を生む過程がその深部構造において特定の知覚経路を含んでいることは、人間がその知覚能力によって直観的な道徳判断を一定の方向へと収束させられる可能性を示唆している。さらに、このような道徳認知の背景となる知覚能力の理解は、これまで哲学理論において思弁的にのみ研究されてきた道徳知覚を自然主義的に再概念化するための基礎を与えるとともに、直観主義的な認識論に対して心理的能力としての直観の概念を提供するものである。今後はこれらの研究から得られた考察に基づいて、道徳認知のさらなる統合的な理解を目指すとともに、それが持つ道徳哲学的意義を明らかにしていきたい。

2014年12月

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