成果報告
2012年度
ヨーロッパ統合の正当化におけるアジアの役割
- 同志社大学法学部 嘱託講師
- 塚田 鉄也
≪研究の背景≫
第二次世界大戦後に本格的に始動したヨーロッパ統合は、相互の対立によって自らの手で二度の戦争と破壊を招いたヨーロッパ諸国に、揺るぎない平和と繁栄をもたらした。その点で、ヨーロッパ統合は、戦後の国際政治における最も重要な試みの一つであり、これまでにも様々な角度から、この統合という現象に関して理論的説明がなされてきた。しかし、これまでの説明の多くは、ヨーロッパ内部の要因に関心を集中し、ヨーロッパ外の要因が統合に与えた影響については、十分に注意を払ってこなかった。これは、地域間の相互連結性が高まり、ヨーロッパ以外の各国の相対的重要性が増してきた現代の時代状況を考えると、やはり問題があるといえるだろう。
≪研究の目的≫
このような観点から、私自身のこれまでの研究では、19世紀末頃から急速に台頭したアメリカの存在が、ヨーロッパの政治家や知識人がヨーロッパの相対的な衰退とヨーロッパ統合の必要性を認識していくうえで、重要な役割を果たしてきたことを明らかにした(『ヨーロッパ統合正当化の論理―「アメリカ」と「移民」が果たした役割』)。
今回の研究の目的は、この延長線上で、同じくヨーロッパの相対的衰退や統合の必要性が認識されるうえで、日本をはじめとするアジアが果たした役割を評価し、これまでの研究を補完することである。もちろん、アメリカと比較したとき、アジアがヨーロッパ統合に与えた影響はより限定的で、時代的にも限られている。そこで、本研究では、
① いわゆる「黄禍(yellow peril)」について盛んに議論され、日清・日露戦争を通じて日本が急速に台頭した19世紀末から20世紀初頭、
② 日本がバブル景気に沸き、アメリカを中心に日本異質論や日本脅威論が展開された1980年代後半以降、
の二つの時期に焦点をしぼって、アジアの台頭がヨーロッパ統合をめぐる議論にどのような影響を与えたのかを考察した。
≪成果と課題≫
①の時期については、当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が「黄禍」を日和見主義的に利用していたことが知られているが、当時は、それ以外にも一部の政治家や知識人によって、「黄禍」がヨーロッパに及ぼし得る影響や、それに対して各国が団結する必要性について真剣に議論されていた。その代表的な例が、フランスの政治家P.デストゥールネル・ド・コンスタンである。後にノーベル平和賞を受賞する彼は、一般に「平和主義者」として知られ、仏独和解の熱心な提唱者であったが、彼がヨーロッパ諸国の協調や団結を訴えた背景には、アメリカや日本の台頭、そしてとりわけ、中国の潜在的な経済発展と、それがヨーロッパの政治・経済・社会全般に及ぼす甚大な影響への懸念があった。もちろん、当時はまだヨーロッパ統合は始動しておらず、彼の議論も必ずしも広く受容されたわけではない。したがって、この例から一般化された議論を導くには無理があるが、統合の必要性が認識されていく一つの典型例として、より深く分析していく必要性を感じた。
②の時期に関しては、事前にある程度予想していたことではあるが、ヨーロッパ統合とアジアの台頭とのより直接的な関係を見出すことができた。当時のヨーロッパは、域内市場白書、単一欧州議定書、マーストリヒト条約と、新たな段階へと歩みを進めていくが、この過程で、アメリカ以上に日本の「競争力」が、統合のさらなる深化を正当化する要因として、多くの政治家や企業家、さらには学者によって引き合いに出されていることが確認できた。今後の課題としては、これら別々の次元(政治家、企業家、学者)の議論がどのように関わり合い、また実際の統合の進展にどのような形で影響を与えていったのかという点についてより厳密に整理をしたうえで、研究成果として公表したいと思う。
2014年5月