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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2012年度

1960年代アメリカの賃金統制政策にかんする歴史的考察

早稲田大学政治経済学術院 助教
高見 典和

 本研究は,1960年代アメリカのケネディ政権の下での賃金統制政策がどのような歴史的プロセスを経て成立するにいたったかを考察した。具体的には,1950年代後半の特異なインフレ現象が新しいインフレ理解を形成し,そのような理解を専門家のあいだに普及させる社会的プロセスを生み出したことを議論した。以下では,その内容を論じる。
 アメリカ合衆国では,第二次大戦と朝鮮戦争期の急激な物価上昇ののち,1950年代半ばには物価の安定を取り戻していた。しかし,1956年になると,物価は緩やかに上昇し始め,わずかな中断をのぞいて1960年まで着実に上昇し続けた。このインフレは平時に起こっており,また伝統的なインフレ理論によって説明が不可能と思われたため,専門家のみならず,政治家や新聞記者からも関心を集めた。この時期に特に議論の対象となったのが,インフレの要因として賃金や原材料価格の自律的上昇に注目する,いわゆるコストプッシュ・インフレ理論であった。
 アイゼンハワー政権がはじめて公にインフレに言及したのは,1956年11月であったが,このときにもコストプッシュ理論への言及が存在した。記者会見の中で大統領は,インフレに対処する強い覚悟を示す一方で,2つの種類のインフレを区別した。すなわち,政府の赤字財政や貨幣供給の増加によるインフレと,生産費用の増加に起因するインフレである。大統領の言葉では,後者は,「すべての人々がより多くの分け前に預かろうとする努力」によってもたらされるインフレであった。翌年1月には,大統領直属の経済諮問会議が,それまでのインフレ対策にたいして次のような懸念を示した。すなわち,近年の「われわれの経験を見れば,財政および金融政策は,適切な民間の方針による補助が必要であるということが示唆される。・・物価上昇を抑制する手段として金融および財政的手段にのみ頼れば,経済の成長と安定の維持に深刻な障害をもたらすであろう」。
 1956年の終わり以降,ニューヨークタイムズ紙の経済記者エドウィン・デールは,たびたび当時のインフレについて記事を書いた。1957年8月の記事では,まずこのインフレの特殊性を指摘している。デールによれば,政府は財政黒字を計上し,連邦準備理事会は継続的に引き締めを強めている一方,経済には生産余力が存在していた。このような経済状況を考慮して,デールは新しいインフレ理論が主張されていることを指摘した。その理論においては,大企業や労働組合は需要の強度に依存せず価格や賃金を引き上げることができ,この自律的な上昇は貨幣流通速度の上昇を伴い,一般物価を押し上げていると主張された。このようなインフレにたいして金融政策や財政政策はもっとも有効な政策ではなく,なんらか異なる政策が必要であった。
 長期の景気拡大が終わり,1957年終わりに景気の下降が始まると,経済は急速に悪化した。半年で失業率が3パーセント・ポイント上昇し,連邦準備理事会はこれに対処するために,急激に公定歩合を下落させた。政府も大規模な財政出動を行い,国民の不満に答えようとした。このように不況が深刻化していたときにおいても,インフレに対する関心は完全には消えなかった。というのも,物価指数は,下落するどころか上昇したからである。この特異な事実をコストプッシュ・インフレ理論の証左として受け止めた専門家が多数存在した。上記のニューヨークタイムズ紙の記者デールは,不況初期の物価上昇は珍しいことではなく,いまだコストプッシュ理論の正しさが証明されたことにはならないと当初は注意を促した。しかし,不況が一段落したのち,デールは,物価の下落が期待されるにもかかわらず,現実にはほとんど物価が低下していないことを受けて,コストプッシュ理論の説得力が高まっていると指摘した。
 議会は,このような不可解なインフレ現象を分析するために大々的な調査を行った。ある調査では,ミルトン・フリードマンやアバ・ラーナーを含む50人近くの著名な経済学者が論文を寄稿し,議会の公聴会で意見を述べた。コストプッシュを論じるもの,それを批判するもの,そもそもインフレを容認するべきと主張するものなど様々な議論が,詳細の統計データとともに一つの公的な調査のもとで発表されたのである。さらに議会はすぐのちに別の調査を行った。ここでは,第一の調査に参加したハーバード大のオットー・エックステインが責任者となり報告書をまとめた。エックステイン報告は,経済全体で超過需要が存在しない場合でも,インフレが生じうることを主張し,その後の経済学者の議論に影響を与えただけでなく,のちのケネディ政権内部の政策立案にも影響を及ぼした。
 以上のように,1950年代後半のインフレは,専門家のあいだに論争をもたらし,結果としてコストプッシュ・インフレ論の説得力を高めることになった。労働組合や大企業の影響力拡大もその背景要因ではあったが,上記のようにこのインフレの特殊性がコストプッシュ理論を支持しているように解釈されたことも重要な要因であった。新聞記者や政治家も,この論争の主要な参加主体であり,かれらが一体となって経済理論が現実の現象のもとで試される場を形成した。1961年にケネディ政権が発足し,経済諮問会議に任命された経済学者がすすんで新しいインフレ対策を主導した背景には,以上のように,1950年代後半のインフレを解釈する様々なプロセスが存在したのである。

2014年5月

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